売茶翁– category –
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売茶翁が賞賛した永源寺発祥の「越渓茶」@滋賀県
売茶翁は、当時どんなお茶を飲み、振舞っていたのか。「売茶翁偈語」で、越渓茶を飲み絶賛している詩が残されている。越渓茶とは、どんなお茶なのか。 越渓茶とは?東近江市政所町の「政所茶」のこと 臨済宗 永源寺派 大本山 永源寺。越渓禅師は永源寺第五... -
売茶翁の煎茶席はどんなものだったのか?「売茶翁の茶」茶会@奈良県
茶を振舞い、茶を通した交流を楽しんだ売茶翁。売茶翁の煎茶席はどのようなものだったのか? 過日、「売茶翁の茶」の茶会に参加させて頂いた。残された「売茶翁茶器図」を元に、茶道具を再現。当時どのように茶を淹れていていたのか、文献学では補えない部... -
売茶翁の足跡を辿る|長崎編
売茶翁は、「長崎で中国人から煎茶を学んだ」と言われています。 江戸の鎖国時代、国内唯一の国際貿易港があった長崎。中国とオランダの商船が来航し、17 世紀頃から多くの中国人が居を構え、渡来僧による寺院や唐人屋敷が建てられました。多い時には、約... -
売茶翁の売茶スタイル「担い茶屋」
茶道具を吊るした天秤棒を担ぎ、東へ西へと風光明媚な場所へ訪れては、茶を振る舞っていた売茶翁。神出鬼没な、その売茶のスタイルの源流について、調べてみました。 移動式茶屋「担い茶屋」の歴史 江戸時代、売茶翁の「担い茶屋」 売茶翁像(伊藤若冲 画... -
伊藤若冲と売茶翁
京都の青物問屋の長男として生まれた、伊藤若冲。奇想の画家と呼ばれ、売茶翁とも関わりが深い江戸時代の絵師です。「売茶翁なくして若冲なし」と言う研究者の方もいます。そんな伊藤若冲と売茶翁の関係について、まとめました。 ※上記の画は「葡萄双鶏図... -
売茶翁の足跡を辿る|佐賀編
佐賀県の売茶翁ゆかりの地をまとめました。 まだ実際に足を運べていないので、具体的な場所(番地)が分からない所もありますが、ご参考にどうぞ。 佐賀市 旧柴山家住宅|売茶翁生誕の地 売茶翁は、肥前蓮池(佐賀市蓮池町)の出身。 延宝3年(1675年)、... -
売茶翁の足跡を辿る|福島編
売茶翁は、若かりし頃、仙台・万寿寺の月耕禅師の元で、4年間修行していました。 師の月耕が死去した後、万寿寺を去り、親族が済む東北地方を行脚したと言われています。売茶翁の東北の親族について、分かっていることをまとめました。 売茶翁の足跡を辿... -
売茶翁の仙台での師「月耕 道稔」
売茶翁は22才から26才の4年間、仙台の萬寿寺・月耕道稔禅師のもとで修行しています。月耕禅師について、分かっていることをまとめました。 ※上部の画像は、月耕 開山の「黄檗宗 開元山 万寿寺」(宮城県仙台市)。 月耕 道稔について 月耕道稔(1628... -
売茶翁の足跡を辿る|宮城編
月海元昭(高遊外 売茶翁)は、万寿寺の住職・月耕道稔を訪ねて東北へ向かい、23〜27歳までの5年間(1697~1701)を仙台で過ごしています。 当時、出家した僧が師の元を離れ、優れた師を求めて、行脚し修行することは、珍しいことではありませんでし... -
鶴氅衣
「鶴氅衣」(かくしょうえ・かくしょうい)は、中国風の上衣で、白地に黒い縁取りで、鶴の羽根をかたどったように袖が丸くなっていることから、この名で呼ばれています。売茶翁が好んで着用しており、黄檗宗では、宗門衣として茶会用・道中衣に用いられて... -
売茶翁の足跡を辿る|京都編(洛中)
売茶翁の京都・洛中での売茶翁の足跡を辿ります。 相国寺住持の大典和尚は売茶翁の朋友であり、その足跡を「夫れ大仏燕子の池、東福紅葉の澗 及び西山 糺林の佳勝 皆時に出て之を舗ぶる所也」と「売茶翁傳」に書き記しています。 売茶翁の足跡を辿る|... -
売茶翁の足跡を辿る|京都編(洛東)
売茶翁の京都・洛東での売茶翁の足跡を辿ります。江戸時代の京都の街のようすと共に、約20年に渡る売茶生活の終焉・最晩年を過ごした場所などを紹介します。 三十三間堂@東山区 「千仏堂前 松樹の下 買い来たって 誰か識らん 武陵の春」(蓮華王院 開...
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