黄檗宗の開祖・隠元禅師が明から日本もたらした物の中には、中国風の豆腐もあった。「禅味の結晶」と称された普茶料理の「黄檗豆腐」とは?一時は途絶えた黄檗豆腐だが、今も作り続けている豆腐店が日本に1店だけあるという。
黄檗豆腐(別名、豆腐羹)とは?隠元禅師が伝えた堅豆腐
黄檗豆腐という存在を知ったきっかけは、「味国記」(みこくき)という本だった。
伝統と格式 ―縁深い茶と禅
京に三豆腐あり、という。
嵯峨と南禅寺の湯豆腐、祇園の田楽豆腐、
宇治には黄檗山万福寺に近い松本平四郎の豆腐羹、薄切りよし、あぶってよし、禅味の結晶だ。
味国記」(寺尾宗冬 著、昭和51年)
著者の寺尾宗冬さんは、元・朝日新聞の社会部で学芸部記者。「味国記」は、昭和49年から連載していた新聞記事をまとめたもの。絶版本だが、復刻版が出ている。
「豆腐羹」(とうふかん)。聞き慣れないこの豆腐は一体どんなものなのか。「禅味の結晶」と絶賛されていたら、気になって仕方ない。
調べてみると、隠元禅師が来日の折、中国の堅豆腐の製法を日本にもたらしたもので、「黄檗豆腐」とも呼ばれているものだった(※以下、便宜上「黄檗豆腐」と呼ぶ)。
胡麻豆腐とは別物。醤油で煮込んだ堅豆腐
禅宗で豆腐と言えば、真っ先に頭に浮かぶのは胡麻豆腐だが、黄檗豆腐は胡麻豆腐と全くの別物。
胡麻豆腐は「ゴマ・葛・水」から作られており、一般の豆腐のように大豆は使われていない。一方、黄檗豆腐は主に「大豆・醤油」から作られている(※後述する作り方では、酒や塩・出汁を使っているものもある)。
萬福寺の門前に店を構える「松本老舗」が伝承しているという。
黄檗豆腐を製造&販売している店
萬福寺門前の豆腐店「松本老舗」@京都府宇治市 ※閉店
宇治の「松本老舗」は、黄檗宗の僧侶から伝えられた製造方法を伝承し、「豆腐羹」という名称で販売していた「唐土伝来 豆腐羹」(※松本豆腐羹という店名で表記されることもある)。その製法は代々の秘伝とされ、1日に36個のみ作られていた貴重品。残念なことに後継者が見つからないとの理由で、閉店してしまった。
「豆腐羹」は豆腐の水気をよく絞り、醤油で煮込んだもので、大豆の旨味がギュッと濃縮され、チーズのような濃厚な味わいだとか。表面が茶色でスモークチーズのような見た目をしており、水を切って固めることで、保存性も高まっている。
農山漁村文化協会が発行しているDVDに、貴重な松本老舗の映像が残っている。「日本の味・伝統食品|第四集 大豆と小麦食品のルーツと技を探る」シリーズ「第二巻 豆腐羹」だ。「アレッポの石鹸」のような見た目をしている。
300年以上前、中国から来た隠元禅師が京都府宇治のお坊さんたちに伝えたという「豆腐羹」。
盆や正月などに供される普茶料理(精進料理)で油気が多めで栄養価が高い。煎茶を飲みながら食べる。
「日本の味・伝統食品|第四集 大豆と小麦食品のルーツと技を探る」「第二巻 豆腐羹」より(農山漁村文化協会)
萬福寺から認められた豆腐店「絹華」@神奈川県山北町
黄檗豆腐は、現在は日本で唯一、神奈川県にある豆腐店「絹華」(きぬはな)でのみ作られている。人気が高くなかなか手に入らないことから、「幻の豆腐」と言われている。
「絹華」は、明治42年創業の老舗の豆腐店。松本豆腐店の閉店と共に、製造工程が門外不出だった黄檗豆腐(豆腐羹)もこの世からなくなってしまっていた。それを絹華の四代目店主が試行錯誤して再現し、努力の甲斐もあって萬福寺の典座の方から認められ、「黄檗豆腐」と命名されたと言う。
昭和58年5月、豆腐機械販売会社の黒柳英克氏が、京都宇治の黄檗(おうばく)宗大本山門前の松本家で製造された豆腐羹(松本家の登録商標)を持ってこられ「これと同じものができないか」と言われました。
松本家老舗で、江戸時代からの伝統を継いで製法は親子代々の秘伝で他にはないとの事でした。ならば挑戦してみたくなり、黒柳氏と共に試行錯誤しながら、何とか形になり黄檗宗万福寺の典座顧問の僧侶の方に試食をしていただいたところ完成度の高さに驚かれ「よくやったね」と言っていただきました。お手紙でも「元々の味が山北町に残った」と書いてありました。
そして黄檗豆腐と命名していただきました。
絹華 公式サイト
平成28年1月4日、京都万福寺に伺わさせていただいたところ、松本家様では製造されていないとのことで、現在日本では弊社しか製造していないと話されていました。
豆腐の水分を充分に絞り、羊羹の様にギッシリと押し固め、出汁に浸して完成。竹の皮に包まれているのが、また風情があってよい。お茶請けやお酒のつまみとして人気なんだとか。
「黄檗豆腐」は予約制で数量限定(製造に3日必要、1週間前から要予約)。通信販売はしていないので、予約の上、現地に行く必要がある。東京駅からだと、公共交通機関で1.5~2時間ほどかかる場所にある。
豆腐店「絹華」
- 住所 :〒258-0113 神奈川県足柄上郡山北町山北2745
- 営業時間 :9:00~18:00(定休日なし)※都合により休む場合があり
- 交通 :JR山北駅から徒歩10分
- 公式サイト:http://kinuhana.co.jp/
黄檗豆腐の作り方
黄檗豆腐の作り方は極秘とされていたが、調べた所、いくつかの書物に作り方が掲載されていた。ただ、それぞれにかなり違いがある。
【江戸】料理書「豆腐百珍」に見る「黄檗豆腐」
「豆腐百珍」(とうふひゃくちん)は、江戸時代のベストセラー料理本。100点もの豆腐料理が紹介されている。
「一種の黄檗とうふ」の作り方
「豆腐百珍」には、「一種の黄檗とうふ」という黄檗豆腐の作り方が掲載されている。
四十 一種の黄檗とうふ
稀醤油と酒しほ合せ よく沸(にへたた)せ 別の鍋に油たつふりと沸せ 豆腐を平骰に切りて金の籠に入れ 油へつけて 二三べんふりまはし 直ぐに煮醤油の鍋へ入れ 烹調る也
一説に水をよくしぼりて 「十」雷とうふの如くするを亦黄檗豆腐といふ。
豆腐百珍(醒狂道人 編、1782年、奈良女子大学学術情報センター所蔵)
- 1.薄口醤油と酒・塩をあわせて鍋にいれ、煮立たせる。
- 2.別の鍋に油を入れて沸かす(豆腐を揚げる準備)
- 3.豆腐を角切にして、金網に入れ、油へつける
- 4.油の中で2~3回振り動かした後、すぐに1の鍋に入れて煮る
煮醤油で味付けした、揚げ豆腐といったもの。松本老舗や絹華と違い、豆腐を揚げている。この点が「一種の」とついている所以かもしれない。
最後に「水をよく絞って雷とうふのようにしたものを、黄檗豆腐という」と書かれている。遠回りしているが、次は「雷とうふ」の章も見てみよう。
「雷とうふ」に見る「黄檗豆腐」の作り方(別名:ケンボロ豆腐・隠元とうふ)
十 雷とうふ
香油(こまのあぶら)をゐりて 豆腐をつかみ砕じて打入れ、直に醤油をさし調和(かげん)し、葱白(ひともとしろね)のざくざく、おろし大根、おろし山葵うちこむ。又はすり山椒もよし。
南京とうふともいう。又水気をよくしぼりて、右の如くするを黄檗豆腐ともケンボロ豆腐ともいう。
四十に出たる黄檗豆腐と製少しちがふなり。一説なり隠元とうふともいう。
豆腐百珍(醒狂道人 編、1782年、奈良女子大学学術情報センター所蔵)
- 1.胡麻油を炒り、豆腐を砕いて入れ、醤油で味付けする。
- 2.ざくざく切ったねぎ(白髪ねぎ?)、おろし大根、ワサビを入れる(山椒でも可)
黄檗豆腐は、水気をよく絞った豆腐を、上記のように調理したもの、と書かれている。沖縄の豆腐チャンプルのように豆腐を炒めているが、仕上げ方は冷奴のようで、非常においしそうである。
【江戸】料理書「豆腐百珍 続編」に見る「豆腐干」
人気を博した豆腐百珍は、翌年に続編が発行された。この続編にも「九十三 豆腐干」として、黄檗豆腐の作り方が掲載されている。
九十三 豆腐干(とうふかん)
前編「十五」おしとうふを稀豆油(うすしょうゆ)にて
炒めつけ放冷て 方壱寸 厚さ三分ばかりにきり 油にて煤げ 復豆油にて味つけるなり
なお 酒に檫(おろし)山葵にて用ゆ
豆腐百珍 続編(醒狂道人 編、1783年、京都大学附属図書館所蔵)
まず押し豆腐を作るところからなので、前編十五 の「おし豆腐」を見ると、以下のように記載されている。
十五 おし豆腐
布に包み板を斜にして並べのせ つぶれぬほどの圧石をかけ よく水気をしぼり
生醤油・酒・しほ 等分にて煮染 小口切にす
豆腐百珍(1782年、奈良女子大学学術情報センター所蔵)
これを踏まえて、「豆腐百珍 続編」の豆腐干の作り方をまとめると、以下のような流れになる。
1.押し豆腐を作る
- 豆腐を布に包んで、板に斜めに載せる
- 豆腐の上に、つぶれない程度の重石を載せて、よく水気を切る。
- 生醤油・酒・塩、同量で煮る(醤油色に染める)
- 小口切りにする
2.豆腐羹を作る
- 押し豆腐を薄口醤油で炒める
- 薄く切って油で揚げる
- 再び醤油で味をつける
前年に発行された「豆腐百珍」の黄檗豆腐の作り方とほぼ同じ。できた豆腐干は、刺し身のように「わさび醤油をつけて用いる」とあり、酒のアテのようなものだったのだろうか。
【昭和】「新撰 豆腐百珍」に見る「黄檗豆腐」
時代は下り、普茶料理の「白雲庵」の亭主にして料理研究家の林春隆氏が「新撰 豆腐百珍」を執筆。
こちらは「豆腐百珍」を加筆修正してバージョンアップしたもの。初版は1935年に発行(岡倉書房)、その後、1982年に中公文庫から出版されている。「茶と豆腐は水質よりも煮方の巧拙に拠るところ多し。ただ水精を尊ぶものは醸酒のみ」など含蓄に富んだ文章。
「新撰 豆腐百珍」に掲載されている黄檗豆腐(豆腐羹)の作り方は、以下の通り。
黄檗煎出し
黄檗煎出し
新撰 豆腐百珍(1982年、林春隆 著)
豆腐一丁を三つまたは四つに切って銅の網籠に入れ、ぐらぐら沸たてた油の中で、二三べん振り廻して、すぐと揚げ、油を断って出すもの。醤油へ酒三分の一加えて煮立てた汁をつけて用う。
揚げ豆腐の作り方が書かれている。この「黄檗煎出し」は、「豆腐百珍」の「一種の黄檗豆腐」にあたるものだろう。
黄檗豆腐羹
黄檗豆腐羹
豆腐数丁を潰してよく水気をしぼり、深さ一寸ぐらいの箱を四寸五分角ぐらいにいくつも仕切りたる取りはずしの出来る枠に、一個ずつ布巾に包みたる潰し豆腐を入れてさらによくしぼり上げ、それを取り出して、別に大鍋に生醤油を沸らしたる中へ、さっとくぐらせて茹で上げたるもの。そのまま切って食い、または生姜醤油の付焼にしてもよし。宇治黄檗独特、唐土伝来の製法なり。
新撰 豆腐百珍(1982年、林春隆 著)
「黄檗豆腐羹」は「豆腐百珍」の「一種の黄檗豆腐」とほぼ同じ作り方だ。
黄檗豆腐
黄檗豆腐
豆腐を美濃紙に包み、灰の中に一夜埋めおけば、水分残らず去るべし。これ黄檗豆腐の製法なり。水気を去りたる豆腐を酒、醤油、砂糖に昆布出しを加えて煮詰め、小口切りにして取肴にしてよし。
新撰 豆腐百珍(1982年、林春隆 著)
こちらの黄檗豆腐は、「豆腐百珍」には掲載されてない。砂糖が使われているのが特徴的。
伝来当初は、萬福寺以外でも、江戸の羅漢寺、九州小倉の聚福寺など、各地の黄檗宗の寺で黄檗豆腐が作られていたらしい。「隠元豆腐」とも呼ばれていたとか。
「豆腐百珍」の「一種の黄檗豆腐」が新撰では「黄檗煎出し」という名前になっていたり、新たに「黄檗豆腐」に付け加えられていたり、以下の通りいくつか異なる点がある。
豆腐百珍(江戸) | 新撰 豆腐百珍(昭和) | 備考 |
---|---|---|
一種の黄檗豆腐 | 黄檗煎出し | 煮醤油で味付けした揚げ豆腐。 |
豆腐干 | 黄檗豆腐羹 | 堅豆腐を醤油で煮たもの。 豆腐干では酒・塩も使用。 |
黄檗豆腐 | 黄檗豆腐 | 新撰では、灰に埋めて水分を切り、 砂糖・昆布出汁で味をつけている。 |
基本的に味付けは醤油ベースで、油で揚げる・炒めるなどの違いがある。なお、「宇治・白雲庵の黄檗 普茶料理」(中央公論社、1988年)も確認してみたが、こちらに掲載されているのは「煎豆腐」(油で炒りつけた豆腐。味付けはない)、「豆腐羹の揚出し」(=黄檗煎出し)で、黄檗豆腐の記載はなかった。
【平成】萬福寺の普茶料理による「黄檗豆腐」
萬福寺が監修した書籍「萬福寺の普茶料理」(黄檗山萬福寺 監修、田谷昌弘 著、2004年)に、黄檗豆腐の作り方が掲載されている。
「家庭で味わう普茶料理」という章での紹介なので、おそらく簡易的な作り方だと思うが、醤油と昆布出汁による味付け。白雲庵のように砂糖は使われていない。
松本老舗、絹華の系列の黄檗豆腐とは違うものであるようなので、いつか絹華の黄檗豆腐を賞味してみたいものだ。