売茶翁は、若かりし頃、仙台・万寿寺の月耕禅師の元で、4年間修行していました。
師の月耕が死去した後、万寿寺を去り、親族が済む東北地方を行脚したと言われています。売茶翁の東北の親族について、分かっていることをまとめました。
- 売茶翁の足跡を辿る|宮城編
- 売茶翁の足跡を辿る|福島編
目次
三春町@福島県
売茶翁と東北の縁を示す記述が、「売茶翁の生涯」(ノーマン・ワデル 著)に記載されています。
売茶翁の親類の多くは、彼の父もふくめて東北の出身者であり、母方の叔父である草川次綱も奥州磐城の三春に住んでいた。月海が東北へ巡礼の旅によく出た理由は、東北に居住していたこの親族あってのことだろう。
売茶翁の生涯(ノーマン・ワデル 著)
売茶翁の親族「草川家」
草川五右衛門次綱は三春藩の藩士(妻の家を継ぎ、草川姓を名乗る)で、売茶翁の叔父にあたります。「草川覚書」という見聞記を執筆しています。
次綱の息子の草川玄道は、三春藩に使える医者でした。売茶翁が、従兄弟の玄道にあてた書簡が見つかっています(「売茶翁の生涯」75P)。
「奥州磐城の三春」は、現在の福島県田村郡三春町のことです。売茶翁が仙台に逗留していた間、草川家が支援していたといいますから、資料は見つかりませんでしたが、売茶翁が三春の地を訪れていた可能性は高いのではと思われます。
- 三春町(福島県田村郡三春町)
柴山家の家系図
売茶翁の家系図について、分かっている範囲でまとめました。
売茶翁の父「柴山 杢之進 常名」は、佐賀県鍋島の蓮池藩の藩医です。初代藩主の鍋島直澄に仕えていました。福島県の会津出身であり(祖父の代に会津に移住)、売茶翁が幼い頃(9歳)、この世を去っています。
売茶翁と東北については不明な点が多く、調べて分かったことがあれば、随時追記していきます。