売茶翁が賞賛した永源寺発祥の「越渓茶」@滋賀県

滋賀県永源寺の「越渓茶」(現在の政所茶)

売茶翁は、当時どんなお茶を飲み、振舞っていたのか。「売茶翁偈語」で、越渓茶を飲み絶賛している詩が残されている。越渓茶とは、どんなお茶なのか。

目次

越渓茶とは?東近江市政所町の「政所茶」のこと

臨済宗 永源寺派 大本山 永源寺。越渓禅師は永源寺第五世住持

「越渓茶」(えっけいちゃ)は、滋賀県は東近江市政所町の茶。現在は「政所茶」(まんどころちゃ)と呼ばれている。

「越渓茶」の始まりは永源寺にあり

「越渓茶」(えっけいちゃ)は、室町時代、永源寺の越渓秀格禅師が、茶の栽培を奨励したのが始まりと言われている。彼の地は、深山幽谷の地、昼夜の寒暖差や、愛知川の清流から生じる朝霧により、茶の栽培に非常に適していた。そして越渓秀格禅師の名を冠して「越渓茶」と呼ばれ、現在は地名を取って「政所茶」と言う。

いつから政所茶と言う名称になったのかは分からないが、江戸時代の文献には越渓と載っていたので、明治以降かもしれない。

「越渓茶」は新製法で作られた「釜炒り緑茶」

では、越渓茶はどのようなお茶だったのか。静岡県の茶業の歴史本「藤枝茶業覚え 第50回全国お茶まつり記念 」(藤枝茶振興協議会, 1996年)に、このような記載があった。

足利義光在職中に、南北朝は室町への移行する。この室町初期の明徳年間に、すなわち1392年に、近江国高野村で円応禅師が開祖とされる永源寺の山腹で、茶園を興した越渓師が陪炉乾燥の代わりに、鉄鍋と竹箸で仕上げた茶を「越渓」と名付けたことが「茶業通艦」にある。香味の大層優れたものだったという。

1年前の1391年に、中国明代の「沈滞村」が貢献茶用の「散茶」を製造したことを伝えており、理由は過重労働からの解放であった。
「茶餅」から「蒸製煎茶」へ実際に移り始めたのは「宋時代」、西暦1000年頃だと云うが、この「越渓師」の実験は、明時代(西暦1368年頃)より開始された「釜炒り緑茶」の製法を早くも先取りしたものらしい。
必要に迫られた製茶法の改良は、次第に、現代風煎茶発明への足掛かりとなった。

藤枝茶業覚え 第50回全国お茶まつり記念 」藤枝茶振興協議会, 1996年)

これによれば、売茶翁が飲んだ越渓茶は、中国明代の製法で作られた「釜炒り緑茶」ということになる。隠元禅師の来日を遡ること数百年、1392年に越渓禅師は、鉄鍋と竹箸を使った新製法で茶を作り、「越渓」と名付けた。釜炒り茶というと素手で作る印象があるが、熱いので箸を使っていたのだろうか。

この情報の出典元である「茶業通鑑」(村山鎮 著、明治33年)を調べた所、国立国会図書館デジタルコレクションは、ページが欠損しており確認できなかった。目次によれば、234ページに「茶の銘 越渓の事」という記載があるようなのだが…。これについては別途、他の図書館をあたるなどして調べたい。

茶の銘 越渓の事

※ページ欠損により、確認できず。

「茶業通鑑」(村山鎮 著、明治33年)

釜炒り製法で作られた煎茶であれば、それは珠玉なものだっただろう。黄金色の水色に、蒸しにはない香ばしい香り。その上、何煎と重ねて飲むことができる。売茶翁が賞賛したのもうなづける。

売茶翁が越渓茶を称えた詩

試越渓新茶(越渓の新茶を試む)

売茶翁は、「売茶翁偈語」の中で越渓茶を称える「試越渓新茶」という長文の詩を詠んでいる。

売茶翁偈語(月海元昭 著、1763年)所蔵:九州大学付属図書館

越渓の新茶を試む

故人 奚れ自りぞ 仙芽を贈る 道(い)う是れ 越渓 第一の春と

封を開けば色香満座に浮ぶ 旗槍の極品 珍と為すべし

汲み来る鴨緑河原の水 瓦䁀の老湯 甞るに好し

一啜方に知る奇絶の味 口甘く気潔く 精神 爽かなり 

荘周 何の暇そ 胡蝶と化す 胸宇灑然たり 物外の人

笑う 我が枯腸 隻字無きことを 別傳の妙旨天真

自す由来 久貧飢渇を忍ふ 得の厚頒收め 吻唇を潤す

酪奴の為を以て 甘露の液 清風両腋 最も超倫

盧公が七椀喫するを消せ不 趙老の一甑賓を接するに宜し

誰か是れ箇中 知味の者 知音本自 疎親を絶す

酒は偏に気を養う 功勇の如し 茶は只心を情む徳仁に似たり 
縦え勇功をして四海に施き使むるも争でか如かん 仁徳の黎民を保するに

越渓 最勝の色香味 まさにこの色香 六塵に名づく
この六塵に即して 真味を了すれば 色声香味 法身浄し

出典:売茶翁偈語(月海元昭 著、1763年)所蔵:九州大学付属図書館

鮮やかな色と香りの極上品、と越渓茶の新茶を贈られたことを喜び、褒め称え、鴨川の水を沸かし茶を淹れている。盧仝の「七碗茶歌」を引用し、両脇に清風が吹くと詠っている。また、越渓茶の色香は、六塵(色・声・香・味・触・法)の煩悩となるが、これに即して真の味を体得できれば清浄な悟りの姿となる、と。

売茶翁は越渓茶を大層気に入り、宝暦2年(1752年)、師の化霖の三十三回忌の際、妹のよしに送って霊前に供えさせている。売茶翁にとって特別な茶だったのだろう。売茶の折にも、ふるまっていたのはないだろうか。

江戸時代の記録に見る越渓茶

愛知川(えちがわ)@永源寺付近。この上流に奥永源寺がある。清流で生じる朝霧が銘茶を生み出した

上田秋成は越渓茶を「佳品」と評す(清風瑣言)

売茶翁の後の時代も、越渓茶は銘茶として名を馳せている。上田秋成は近江の茶を好んだ。茶書「清風瑣言」において、信楽茶を天下第一、越渓茶を佳品と評している。

品目

近江の信楽、茶品殊に多し、山中の村民園畝を開きて、蒸焙を事とす、煎種の純品此地天下第一なり。

※中略※

洛北妙心寺の花園、近江永源寺の越渓、土山の曙、美濃の虎渓、播磨の仙霊、山僧の手製、利の爲らざるは佳品なり。

出典:清風瑣言(上田秋成 著、1794年)

江戸時代に茶名物として掲載(日本山海名物図会)

江戸時代の名産品ガイドブック「日本山海名物図会」にも越渓茶の記載がある。「茶名物大概」の章で、銘茶24種が紹介されており、その中に越渓茶がある。

茶名物大概 

宇治茎茶 近江滋賀楽  筑前岩上   大和吉野川上 駿河ノ安倍 美濃虎渓 

近江越渓 播州粟賀仙霊 山城高雄本葉 同薄葉    丹後ノ草山 同高泉寺 

同明石  伊勢川俣   伊与ノ金甑  美濃輪違   江州一山  同雁音 

同山吹  同初緑    同春風    同喜撰    駿河足久保 日向茶数品あり

茶名物大概」日本山海名物図会より(平瀬徹斎 撰、長谷川光信 画、1799年)※出典:国立国会図書館デジタルコレクション

越渓茶は遠く秋田まで、全国に流通(玉勝間)

また、江戸時代の国学者、本居宣長は、随筆集「玉勝間」(たまかつま)で、越渓茶について以下のように記している。

近江国の君ヶ畑といふところ

あふみの犬上ノ郡の山中に、君が畑村といふ有て、大公大明神といふ社あり。

惟高親王をまつるといへり。村の民ども、かはるがはる一年づゝ神主となる。

まづ一とせの間ゆまはりて、さて一年神主を務めて、後又一年ゆまはる。これにあたれる者を、公殿といふ。

家まづしくて、此公殿をえつとめずして老たるものをば、犬といふ。

又此村に、禅宗の寺有(リ)て、其寺の内に、惟高法親王の廟といひて、塚もあり。

此村は、伊勢ノ国員弁ノ郡より越る堺に近き所にて、山深き里なりとぞ。

此の村人ども、夏は茶を多くつくりて、出羽の秋田へくだし、冬は炭を焼て、国内にうるとぞ。

その茶をもむ時の歌、ここでもむ茶が、秋田へくだる。秋田女郎衆に、ふらりよかよ。

出典:玉勝間(巻6。著:本居宣長 1795~1812年)

君が畑(滋賀県東近江市)では、夏に茶をたくさん作って秋田へ売りに行き、近江の茶揉み歌が秋田へ伝わっているとのこと。越渓茶が江戸時代初期には全国に流通し、東北地方にまで及んでいたことが分かる。

宇治に譲らない質の高さ(煎茶小述)

煎茶小述(山本徳潤 著、1835年)出展:国立国会図書館デジタルコレクション

他に、煎茶道の指南書「煎茶小述」では、越渓茶を宇治に譲らない質の高さと評されている。著者の山本徳潤は山本山の5代目。

茶之産

諸国の産ずる所、各一方に名ありといへども、古来より城州宇治を絶品とす。

江州信楽越渓の上品は、宇治に譲らず。肥前嬉野、相良、肥後玖摩、女良、播州仙霊、勢州菰野、尾州内津、濃州虎渓、駿州阿部、芦久保等。そのほかの諸州、産ずる所、山川の向背、土地の寒暖によりて、香味おのおのおなじからず、其名品を得ば、たまたま用いて清賞に供すべし。

出典:煎茶小述(山本徳潤 著、1835年)

現在の「政所茶」(無農薬・有機栽培)

滋賀県の政所茶

政所茶は、滋賀県東近江市の政所町周辺で栽培されている。奥永源寺地域とも呼ばれる。鈴鹿山に愛知川の清流が流れる自然あふれる地。

過疎化や生産者の高齢化による担い手不足で、生産量が激減しており、一時は「幻の銘茶」とも呼ばれていた。2017年に政所茶の存続と発展のため「政所茶生産振興会」が結成。近年、若手農家などにより、政所茶のブランド化や販売促進が進んでいるようだ。

政所茶の特徴

挿し木で増やしたものではなく、種から育てられた在来種であること、無農薬・有機栽培であること。肥料には、ススキや落ち葉・油粕など使い、昔ながらの製法で栽培されている。

中川誠盛堂茶舗さんで、完全無農薬在来種の政所茶を購入。白木駒治さんという方の樹齢300年の大茶樹の茶。濃い茶葉の色とは対照的に、水色は淡い黄色。すっと体に入ってくるさわやかさ。日本茶より中国茶を好きな方が好むお茶かもしれない。

政所茶を深く知るための一冊

政所茶については「日本茶の発生|最澄に由来する近江茶の一流」(飯田辰彦、2015年)が非常に詳しく、興味深かった。近江茶のルポルタージュで、茶農家や茶業関係者から、日吉茶園の禰宜の方まで、生の声が掲載されている。もちろん政所茶の茶農家の紹介や、どのように茶を作っているかの話もある。政所茶に興味がある方は、ぜひ一度手に取って読んでみてほしい。

政所茶を取り扱っている店

  • ゆずりや   :政所茶の生産と販売。煎茶・玉露・平番茶などを販売
  • 茶園むすび  :政所茶を産地から直接販売している茶農家
  • 中川誠盛堂茶舗:滋賀県大津市の茶舗
  • 政所園    :創業宝暦六年の日本茶専門店
  • FUJIN MARKET:滋茶園の政所茶を販売
  • あいねのいえ  :「幻の銘茶」として煎茶・紅茶・平番茶などを販売

調べた限り、釜炒り緑茶は作られていないようだ。

この地に茶栽培をもたらし、現在にまで続く政所茶の道筋を作った越渓禅師。当時の製法で作った釜炒り緑茶を仏前に供えることができたら、禅師の茶恩に報いることができるのではないか、などと門外漢ながら思う。そして、釜炒り緑茶の政所茶を飲んでみたいものだ。茶名は「越渓」にて。

目次