「鶴氅衣」(かくしょうえ・かくしょうい)は、中国風の上衣で、白地に黒い縁取りで、鶴の羽根をかたどったように袖が丸くなっていることから、この名で呼ばれています。
売茶翁が好んで着用しており、黄檗宗では、宗門衣として茶会用・道中衣に用いられています。
「鶴氅衣」の由来
元々は中国で、鶴の羽毛の織り込んで作られた衣のことで、高貴な人の着る衣服でした。唐代の寓話「鶴氅裒」(かくしょうほう)の衣も鶴の羽を織り込んだもので、鶴氅衣と同じ物と思われます。
- 鶴氅(華人百科) ※中国語
- 披風和鹤氅製作剪裁示意圖(枢鳳閣 漢族伝統服飾) ※中国語
※鶴氅
白居易の詩に見る「鶴氅」
唐代の詩人・白居易(772-846年)の詩に、鶴氅についての描写が見られ、暖かい外套であったことが分かります。現代のダウンジャケットやフェザージャケットのような衣類だったのでしょう。
酬令公雪中見贈
雪似鵞毛飛散乱 雪は鵞毛に似て、飛びて散乱し
人被鶴氅立徘徊 人は鶴氅を着て、立ちて徘徊す
新製綾襖成感而有詠
鶴氅毳疏無実事 鶴氅は毳(せい)疏にして 実事無く
木棉花冷得虚名 木棉は花冷たくして 虚名を得たり
三国志演義に見る「鶴氅」
その後、鶴の羽毛で作った衣から転じて、白地に黒の縁取りの羽織物そのものを鶴氅衣と呼ぶようになり、道教の道士の羽織物・俗世を離れた仙人の着る物というイメージが定着しました。
※今では、白地以外でも同デザインの衣を鶴氅衣と呼んでいます。
鶴氅衣で最も有名な人物は、明代の歴史小説「三国志演義」における諸葛孔明でしょう。天下の奇才・飄々とした仙人のイメージを表すものとして、鶴氅衣を身にまとっています。
羽化登仙の道服
煎茶道においては、黄檗宗及び売茶翁に習い、茶会にて着用されることがあります(※流派による)。
文人衣装としての「鶴氅衣」
「鶴氅衣」は煎茶道の世界に留まらず、文人画家の浦上玉堂(1745-1820)や思想家の岡倉天心(1863-1913年)も着用していました。平櫛田中作の天心像が、小平市平櫛田中彫刻美術館や井原市立田中美術館に収容されています。
また、江戸時代(1846年)、事業成功の御礼に相馬藩が二宮尊徳(二宮金次郎)に鶴氅を賜ったという記録があります。こちらは木綿を起毛させた羽織で、現在は小田原市の報徳博物館に所蔵されています。
- 岡倉天心像「鶴氅」(小平市平櫛田中彫刻美術館)
- 岡倉天心像「鶴裳道人」(井原市立田中美術館)
- 報徳博物館(神奈川県小田原市)