売茶翁の足跡を辿る|長崎編

長崎の眼鏡橋

売茶翁は、「長崎で中国人から煎茶を学んだ」と言われています。

江戸の鎖国時代、国内唯一の国際貿易港があった長崎。中国とオランダの商船が来航し、17 世紀頃から多くの中国人が居を構え、渡来僧による寺院や唐人屋敷が建てられました。多い時には、約1万人もの中国人が長崎に暮らし、中華街が栄えていたと言います。煎茶の文化も、唐寺の行事や大陸の習慣と共に日本に伝わりました。

※上記の画像:長崎を代表する名所の「眼鏡橋」です(重要文化財)。江戸時代の寛永11年(1634年)、興福寺の2代目住職・黙子如定禅師(渡来僧)によって創建され、売茶翁も目にしたのではないかと思います。

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売茶翁、長崎で「武夷茶」を喫す

売茶翁は14歳(1688年)の時、師の化霖禅師に連れられて長崎を訪問。中国人の僧から中国茶の「武夷茶」を振る舞われました。「梅山種茶譜略」に、以下の記録が残っています。

予 童僧タリシ時、師に侍メ 長崎ニ至ル。唐僧其公接待 甚(はなはだ)厚シ。武夷茶ヲススムル次デ。話武夷山ニ及ブ。山川秀簾ニシテ、茶樹繁茂スト。其説 甚(はなはだ)詳ナリ。

梅山種茶譜略(売茶翁 高遊外 著、天保9年)

当時の「武夷茶」は、唐僧が製茶した「釜炒り緑茶」の可能性

武夷茶は、福建省北部にある天下の名山「武夷山」で作られるお茶です。17世紀、武夷茶は「Bohea」してヨーロッパに輸出され、英国皇室の寵愛を受けたほか、紅茶(Black tea)の原型となりました。

現在、武夷茶といえば、この紅茶の元となった発酵茶である青茶(烏龍茶)を指します。しかし、17~18世紀頃、武夷山の寺院で作られていた武夷茶は、 釜炒り緑茶だったようです。

売茶翁が飲んだ武夷茶は、発酵茶のBoheaなのか、釜炒り緑茶なのか。「唐僧から振る舞われた」という事実から、寺院で作られていた釜炒り緑茶の可能性が高いのではないでしょうか。

※参考:紅茶の起源  The Origin of Black Tea((株)伊藤 園中央研究所 竹尾 忠 一)

売茶翁が「武夷茶」を振る舞われた場所はどこか?

具体的な記録は見つからなかったので確証はありませんが、中国人の僧からということは、黄檗宗の寺院の可能性が高いのでは‥と思います。

長崎には、「唐三箇寺」と呼ばれる黄檗宗のお寺がありました(興福寺・福済寺・崇福寺)。「唐三箇寺」では、中国から高僧を招来し、住持を唐僧が務めていたので、これらのお寺の可能性が高いのでは、と思います。

黄檗宗 東明山「興福寺」- 日本最古の唐寺 –

興福寺は元和6年(1620年)、江西省饒州出身の僧「真円」が小さな庵を建てたことに始まります。元々は、航海の安全を祈願する場所でした。また、南京・三江出身者の関わりにより「南京寺」とも呼ばれていました。

隠元禅師は、興福寺3代目住持の逸然禅師(1601-1668年)らによって、日本に招聘されました。承応3年(1654年)、興福寺4代目として隠元禅師が住職を勤めたことから、興福寺は「黄檗宗の発祥の寺」とされています。隠元禅師の威光により、日本各地から参禅者が集まり、大寺となりました。興福寺は、「雌雄一対の魚板」があることでも有名です。

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