売茶翁は1734年頃から京都で売茶生活を始め、「泉石良友」と書かれた籠で茶道具一式を持ち運び、禅を説きながら茶を振舞いました。
「茶銭は黄金百鎰より半文銭までくれ次第。ただにて飲むも勝手なり。ただよりほかはまけ申さず」と掲げ、春は桜の名所・夏は清流のほとり・秋は紅葉の美しい地と、風光明媚な地で一服一銭の茶を振舞います。売茶生活の出発地点となった東山を中心に、洛南での売茶翁の足跡を辿ります。
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鴨川の畔@東山区
京都東山で売茶生活を始める
錫を移して 今朝市てんに入り 紅塵堆裏 塵縁を絶す
鴨河清き処 衣鉢を洗えば 明月波心 影自ずから円なり(卜居三首)
1734年、売茶翁は60才で京都に移り住み、売茶生活を始めます。「卜居三首」は、売茶翁が読んだ最初の詩と言われています。
鴨川の畔の茶亭「通仙亭」
「旧時の交友 如し相い問わば 第二橋辺 水涯に舎す」(自笑東西漂白客)
「茶亭 新たに啓く 鴨河の濱 座客 悠然 主と賓を忘る」(賣茶口占十二首)
「汲み来たる 鴨緑河源の水 瓦鼎の老湯 新を嘗めるに好し」(汲来鴨緑河源水)
売茶翁は東福寺に通じる二之橋の近くに居を定め、鴨川の畔にあずまやの「通仙亭」を構えました。この頃より「売茶翁」の号を名乗り、鴨川の水を汲み、野に遊び、一服一銭の茶を振舞い始めます。
かつて存在した「伏水街道 二之橋」
二之橋の近くにあったという通仙亭。東福寺のそばには、当時「一之橋」「二之橋」「三之橋」「四之橋」という4つの橋がかかっていました。
一之橋
東福寺門前の北の端にあり。水源は今熊野社の艮(うしとら)の谷より出づ。
「名跡志」に云う「この橋より南は紀伊郡にて、この橋当郡の中にては子丑(ねうし)の間の堺なり。上古には橋より南方は今のごとき人家有りしことなし。街道の東西は田畠にして、道の次傍(かたはら)には松柳等の双樹あって人家その間所々にありし」と云々。二の橋は同街これより南にあり。二之橋
東福寺門前一之橋より一町ばかり南にあり。水源は常楽庵の奥より出づ。この橋の北に西に通ふ道あり、九条河原観音橋を経て九条村より東寺に出づ、洛陽観音巡りの通路なり。
三之橋
同街道二之橋の二町ばかり南にあり。通天橋下洗玉潤の同流にして二、三の橋とも末は加茂川に入る
花洛名勝図絵(1864年)
江戸時代の京都の名所案内「花洛名勝図絵」の記述によれば、二之橋がかかっている川は、東福寺の常楽庵(開山堂)の奥に水源があり、賀茂川に合流していたようです。
現在の二之橋
二之橋川は、昭和3年(1928年)に都市計画によって廃川となりました。一之橋・二之橋はなくなり、三之橋・四之橋は現在も残っています。当時の二之橋の面影を残すものとして、九条跨線橋の陸橋の下に「伏水街道 第二橋」という擬宝珠の石柱が残っています。
二之橋の近くにあったという「通仙亭」、今やその痕跡は何も残っておらず、この石柱からおおよその場所が分かるのみです。
- 伏水街道 一之橋旧趾(東山区本町11丁目) ※宝樹寺の前
- 伏水街道 第二橋 (東山区本町14丁目) ※九条跨線橋の付近
- 伏水街道 第三橋 (東山区本町17丁目) ※東福寺入り口付近
- 伏水街道 第四橋 (伏見区深草直違橋南1丁目)
東福寺@東山区
「恵日峰頭 楓樹の下 銭を過客に乞いて 衰残を養う」(東福寺開茶店)
「茶を煮て 渓畔 清冷を汲めば 孤鶴翩翩 此の中に来たる」(遊東福寺煮茶)
「売茶翁偈語」では、東福寺で詠んだ詩句が12句と最も多く、売茶翁の愛した地であることが伺えます。
紅葉の名所「通天橋」
「三條橋畔の 売茶老 又 通天に向いて澗泉を煮る」(通天橋鬻茶)
「茶具携え来る 黄落の中 竈に松卵を焼いて 松風を煮る」(通天橋開茶舗)
「我に通天の 那一路あり 何ぞ須いん 六碗 神仙に達するを」(通天橋開茶亭)
「茶烟 錦を篭めて 通天を擁す」(通天橋畔煮茶)
売茶翁は、特に通天橋で茶を淹れた句を数多く残しており、愛好の場所であったことが伺えます。
東福寺には、宋から伝わった「通天モミジ」と呼ばれる三葉楓、トウカエデやイロハモミジなど、何千本もの楓が植えられており、江戸時代から紅葉の名所として知られていました。
江戸時代の京都の名所案内「再撰花洛名勝図会 -東山之部-」でも、東福寺の「観楓」のようすが描かれています。
日本では、桜を雲・紅葉を錦として、昔から愛でてきました。「売茶翁偈語」においても、紅葉を「錦」と歌った詩が何首かあります。また、松ぼっくりを焼いて火を焚き、茶を煮たことが歌われています。
清流の流れる渓谷「洗玉澗」
「黄芽 雪に和して 洗玉澗 辺春を煮る」(掲通天樹枝聯)
「通天の澗(たに)に茶を煮て 渡月の花に鬻ぐ」(咄這瞎漢)
「十二先生 相伴い来り 宇陽の春色 岩台に煮る」(通天橋設茶舗)
通天橋の下に広がる渓谷「洗玉澗(せんぎょくかん)」の水を汲み、その岩を台にし、茶を淹れています。紅葉の名所は新緑の名所でもあり、木々が黄色い新芽を出す春、宇治の新茶を淹れたことが歌われています。
萬福寺@宇治市
1686年(12才)、売茶翁は、独湛の還暦を祝う茶会に参加するため、師の化霖に随行し、萬福寺に初参詣します(独湛は化霖の師)。その後、1703年(29才)に化霖70才の祝いのため、再び萬福寺を訪れ、数年間、禅堂で黄檗僧としての修行に明け暮れます。
売茶翁を祀る「売茶堂」
萬福寺の境内には売茶翁を祀る「売茶堂」があり、堂内には木彫りの売茶翁坐像(加納鉄哉の作)が安置されています(現在、非公開)。売茶堂は昭和三年に創建され、その後、昭和四十六年に再建されました。
売茶翁の月命日である16日には「売茶忌」が営まれ、毎月法要と献茶が行われています。
- 売茶堂(全日本煎茶道連盟)
全国煎茶道大会の開催地
毎年5月下旬の二日間、「全日本煎茶道連盟」が主催する大煎茶会が萬福寺で開催されています。
開山堂の隠元禅師・売茶堂の売茶翁への献茶式が執り行われ、連盟に加入している全国の煎茶道の流派が茶席を設けます。国内で最大規模の煎茶のお茶会です。