売茶翁は、天秤棒に茶道具をかけて、茶を振舞っていた。

江戸時代、奈良の春日大社の境内で、同様に茶が振舞われていたという。この「担茶屋(にないぢゃや)の道具を復元したものが奈良の春日大社にある」と耳にし、奈良訪問の折、春日担茶屋を訪れた。
春日大社の表参道に佇む茶屋

最寄りは近鉄奈良線「奈良駅」。春日大社の表参道を歩く。早朝は光が神々しい。人の姿も疎らで空気も澄んでいる。まずは春日大社にお参りし、万葉植物園のすぐ隣、春日担茶屋に向かう。
奈良名物の茶粥「万葉粥」

お店が開く頃に伺うと、すでに長蛇の列ができていた。半分以上が海外の方だろうか。しばし待ち、看板メニューの万葉粥を注文。机上にはホトドキスの花。白味噌仕立ての粥に、奈良漬けに卵焼き等。1月は七草、2月は大豆など、季節ごとに茶粥の具が変わるそうだ。
担い茶屋の天秤棒と茶道具

目当てのものはと言うと、店の奥、緋毛氈が敷かれ、恭しく担茶屋の道具が展示されていた。想像していたよりも大きい。上段には二段重ねの木箱。茶道具と菓子を入れたのだろうか。下段に見えるのはおそらく建水。ずっしりと重そうな茶釜に、これを担いで歩くのは、かなりの重労働であったことが偲ばれる。

「春日担茶屋」の由来
江戸の末期、春日大社境内地において てんびん棒に茶箱と茶釜をのせて赤膚焼の皿に「火打焼」という餅菓子を盛り、火吹き竹で火をおこし、参拝客に茶を振舞っていたという「担茶屋」が当時名物になったと「大和名所図会」や他の書物にあります。
現在の「担茶屋」はこの名をいただいたものです。なお、このてんびん棒の復元は昭和二年に春日大社に奉納されました。
春日担茶屋の説明版より
江戸時代に考案された餅菓子「火打焼」
木箱に建てられた木札には「春日御擔茶屋」の文字。当時は茶と共に「火打焼」という餅菓子も振舞われていた。火打焼は、神饌の唐菓子「餢飳」(ぶと。伏兎とも)を元にした菓子。餢飳は揚げ餃子のような見た目だが、兜を模したものだそうで、中にあんこが入っている。祇園にある京都菓子司「亀屋清永」で購入することができる。
火打焼は、江戸時代の元禄年間に御菓子司「千代乃舎 本家竹村」が考案。表面を鉄板で焼き清めたことから、火打焼という菓銘をつけたとか。秋の正倉院展の開催時期のみ、店頭で販売されている。江戸時代の頃とは製法が変わっているかもしれないが、あんこを求肥で包み、花びら餅のような形にこしらえている。
また、春日担茶屋でも、秋に期間限定&数量限定で火打焼を提供しているようだ。今回は食べ損ねてしまったので、次回来訪の折は賞味したいもの。
なお、兵庫県姫路市にも御菓子司「伊勢屋本店」にも「火打焼」がある。奈良の火打焼と違い、焼きつけはない。姫路城主酒井宗雅公の茶会記「逾好日記」(1787-1789年)に記載があり、こちらも江戸時代からあるものだそうなのだが、奈良の火打焼との関係は分からない。
また、火打焼と同様に、餢飳を元にした菓子がある。「餢飳饅頭」という揚げまんじゅうで、明治時代に考案されたとか。揚げ餃子のような形で、こちらの方が餢飳の原型に近い姿をしている。元祖あんドーナッツとも言うべき、庶民派お菓子。奈良の御菓子司「萬々堂通則」のECサイトで購入することができる。奈良の甘味文化は面白い。
「大和名所図会」に見る担い茶屋

この担茶屋が実際に使われていた時代、どのように茶がふるまわれていたのか。江戸時代の名所図鑑「大和名所図会」(1790年)の「春日の擔茶屋」のページに、茶屋の様子がはっきりと描かれている。春日担茶屋の店内には、この図会の刺繍が飾られていた。

色鮮やかで、こちらの刺繍画の方が分かりやすい。右側には鹿せんべいのようなものが見え、この頃からあったのかと驚く。担い茶屋は左側に見える。拡大すると、火吹き竹で火を起こしているのが分かる。

天秤棒の両端には、看板よろしく木札が立てられている。木箱の中に見えるのは、菓子の「火打焼」だろうか。肌色の皿か板に白っぽいものが載っている。火打焼は、落語の「奈良名所」にも奈良名物として登場する(お伊勢参りの上方落語「東の旅」より)。ちなみに、奈良の吉野郡川上村では「火打餅」という草餅が販売されている。こちらは火打ち石の形を模しているそうだが、火打焼によく似た形をしているので、なにか関係があるのかもしれない。
足元には薪のようなものも見える。それにしても火力が強すぎやしないだろうか…。釜から炎の舌が伸び、天秤棒に燃え移りそうだ。

参拝者の女性陣は、椅子に腰かけて茶を飲んでいる。参拝の折に和気藹々と、今と変わらぬ風景。
大和名所図会からは、どのような道具を使ってどう茶を淹れていたかは分からないが、担茶屋は「煎物売」とも呼ばれており、ふるまっていたのは煮出し茶(煎じ茶)だったようだ。そして京都御所の檜垣茶屋も、春日担茶屋のように茶を振舞っていたらしい。
煎物売(せんじものうり)
春日の水茶屋は傍邊にあり、表に荷擔の茶を置きて棚樣尤古風なり、(七十一番職人畫歌合)にせんじ物賣の圖あり、是も擔茶屋にして粗あひ似たり、例年霜月春日の御祭禮には群參の塲に出て詣人に茶を商ふこと偏に古の余風といふべし、今京都御所の供待の溜へ出る檜垣の茶屋も此擔茶屋の風儀なるべし。
社会文学辞典(明治36年、坂本健一 著)
担茶屋の記録を調べていたら、おもしろいものがあった。歌舞伎の名場面を描いた押絵行灯に、「春日担茶屋」の絵(佐竹永湖 筆)がはめ込まれている。
- 中村芝翫のおみわ(奈良県、明治 17年頃)@野田市郷土史博物館
俳句の世界では、「担茶屋」は新年を表す季語だという。春日大社では、例年霜月(11月)のお祭りの際にふるまわれたようだが、昔は甘酒のような存在だったのだろうか。