江戸時代の名産品図鑑「日本山海名物図会」に見る製茶法

江戸時代の名産品図鑑「日本山海名物図会」に見る製茶法

江戸時代に出版された、名産品のガイドブックとも言うべき「日本山海名物図会」(全5巻、平瀬徹斎 撰, 長谷川光信 画、18世紀)。

大坂の書店「赤松閣」の主人・平瀬徹斎(通称は千草屋新右衛門)が、日本各地の名産を調べてまとめたもの。金や銀などの鉱物から農水産物産・工芸品まで幅広く、大坂の浮世絵師・長谷川光信の絵図がついている。

二巻では、京都宇治における覆い下栽培で育てた茶の摘み方から製茶までの工程が詳しく説明されており、当時の茶作りの様子がよく分かる。

目次

「日本山海名物図会」第二巻

覆い下栽培の茶摘みを描いた「宇治茶摘」

宇治茶摘」日本山海名物図会より(平瀬徹斎 撰、長谷川光信 画、18世紀)※出典:国立国会図書館デジタルコレクション

日本に茶をうゆることは、人王 八十二代 後鳥羽院の御世に始まる。

京建仁寺の開山 栄西和尚 渡唐の時茶の種をもろこしより取かへりて、筑前国 脊振山に植らる。

是を岩上茶と云。又、栂尾 明恵上人に其種をまいらせられたるを 上人 山城の宇治と栂尾とに植らる。

今 栂尾には茶たえて、宇治の茶 甚だはびこれり。四月に葉をつみて煎茶を製す。

宇治茶摘」日本山海名物図会より(平瀬徹斎 撰、長谷川光信 画、18世紀)※出典:国立国会図書館デジタルコレクション

この章は、絵は茶摘だが、茶の伝来と宇治茶の始まりについての解説が掲載されている。

茶摘みの図は、木組みの棚にむしろがかけられている覆い下栽培。絵師の都合か高級な碾茶ゆえか、ずいぶん間隔を空けて茶の木が植えられている。茶摘娘の衣装からも、観光茶園のような場所なのかもしれない。

宇治茶の製法を解説「茶製法」(ちゃこしらえ

茶製法」日本山海名物図会より(平瀬徹斎 撰、長谷川光信 画、18世紀)※出典:国立国会図書館デジタルコレクション

茶の葉をつみて是を折敷にいれ箸にて ちり・赤葉・くものす など よくゑりて後 釜にてゆであげ、それを桶にいれて、しめ木にてしめ、水気をとりて日にほすなり。次の絵と合せ見るべし。

凡 茶つみ茶よりは皆女の所作なり。宇治の茶つみとて遠国までも其名高し故に、他国の人はかならず見物に来りて、いとにぎやかなることなり。

茶製法」日本山海名物図会より(平瀬徹斎 撰、長谷川光信 画、18世紀)※出典:国立国会図書館デジタルコレクション

この「茶製法」の章から、茶摘み後の製茶についての説明が始まる。絵図については、次章(茶名物大概)と合わせてみるべし、とある。

日本各地の銘茶選「茶名物大概」

茶名物大概」日本山海名物図会より(平瀬徹斎 撰、長谷川光信 画、18世紀)※出典:国立国会図書館デジタルコレクション

まず「茶名物大概」の章では、日本各地の銘茶24種が紹介されている。図は茶摘み後の製茶方法が掲載されており、順番が前後するので、後で製茶の流れをまとめて紹介する。

茶名物大概 

宇治茎茶   近江滋賀来 筑前岩上  大和吉野川上 

駿河ノ安倍  美濃虎渓  近江越渓  播州粟賀仙霊 

山城高雄本葉 同薄葉   丹後ノ草山 同高泉寺 同明石 伊勢川俣

伊与ノ金甑  美濃輪違  江州一山  同雁音  同山吹 同初緑

同春風    同喜撰   駿河足久保 日向茶数品あり

茶名物大概」日本山海名物図会より(平瀬徹斎 撰、長谷川光信 画、18世紀)※出典:国立国会図書館デジタルコレクション
  • 京都:宇治の茎茶、高雄の本葉と薄葉、丹後の草山茶・高泉寺・明石
  • 滋賀:近江の信楽茶・越渓茶、一山・雁音・山吹・初緑・春風・喜撰
  • 奈良:吉野の川上茶
  • 三重:伊勢の川俣茶
  • 岐阜:美濃の虎渓茶(虎渓山 永保寺の茶?)・輪違茶
  • 静岡:安倍茶、足久保茶
  • 兵庫:粟賀の仙霊茶
  • 愛媛:伊与の金甑茶(かなこしき)
  • 福岡:筑前の岩上茶
  • 宮崎:日向茶

信楽茶は今の朝宮茶、越渓茶は政所茶にあたる。雁音・山吹など、抹茶と思われる茶も多い。

抹茶用の「焙籠」(ほいろ)

焙籠」日本山海名物図会より(平瀬徹斎 撰、長谷川光信 画、18世紀)※出典:国立国会図書館デジタルコレクション

上の絵に見えたる  茶の葉を湯出ゆでて  日にほしたるを

ほいろにかけて  あぶる也。此絵は せんする時の ほいろにはあらず

宇治御茶師 御通御用 凡三十三人 上林味卜 上林春松 

上林平入 上林三入 長井貞甫 酒多宗有 尾崎有庵 

星野宗以 堀  真朔 長茶宗味 辻善徳

焙籠」日本山海名物図会より(平瀬徹斎 撰、長谷川光信 画、18世紀)※出典:国立国会図書館デジタルコレクション

「茶製法」の後、ホイロで炭で焙じている。これは煎ずる時のホイロではないとのこと。右上で石臼で茶を挽いているので抹茶用のようだ。煎茶用のホイロが載っておらず残念。

「日本山海名物図会」に見る茶の製法

絵と解説が一致せず、ページをまたがっていて分かりづらいので、時系列で茶の製造工程をまとめてみた。

1.茶木から葉を摘む(生葉摘採)

「宇治茶摘」より一部抜粋

井桁や流水文様の着物に、そろいの白い手ぬぐいをかぶった茶摘娘。手摘みでしごくように茶を摘み取り、首から下げた籠にいれている。着物のたもとは邪魔にならないのだろうか。後世の絵図ではたすきがけをしていたりする。

2.生葉を選別し、ゴミや不純物を取り除く

「宇治茶摘」より一部抜粋

摘み取った茶葉を、折敷(角盆)にいれる。箸でゴミや赤い葉、蜘蛛の巣などを取り除く。かなり根気のいる作業だ。選別が終わったら、中央に置かれた大きな籠に茶葉を集めたようだ。不要なゴミは床に落としていたのだろうか。

こういった茶摘み・茶の選定は女の仕事とされ、宇治の茶摘は有名で遠方から見に来る人も多く、にぎやかであったという。大店では、客寄せのために茶摘娘も綺麗所だったに違いない。

江戸から数百年。現代においても、茶摘みは宇治の初夏の風物詩だが、2023年に茶摘み宣伝に男性が初めて登場。ジェンダーフリー化のニュースが流れたのは記憶に新しい。各地の大学や自治体・観光業などで、ミスコン廃止や見直しの動きが広がっており、これも時代の要請。

3.釜で茶葉を茹でる(殺青)

「茶製法」より一部抜粋

この絵は、下から順番に見ると流れが分かりやすい。

不純物を取り除き、茶葉の選定が終わった後、大きな籠に入っている茶葉を、「湯切りざる」のような底が深い籠に移し替えている。そして、ラーメンなどを茹でる時と同じ要領で、湯がたぎる釜に籠を沈め、茶葉を釜で茹であげる。しっかり茶葉は窯に浸かっており、蒸すのでも炒るのでもなく、茹でている。

4.茶葉の水分を絞り取る

「茶名物大概」より一部抜粋

釜で茹でた茶葉を木桶に詰め、テコの原理で茶葉を圧搾し、絞って水分を切っている。桶の横には穴が空いており、紐のように見えるのは、桶から流れ出す水だろう。

平安時代、京都の山崎離宮八幡宮で発明されたと言う搾油機の「長木」に似た形。油搾りの場合は縄を使って絞めていくが、こちらの絵では素手で絞っている。

5.茶葉を天日干しにする(日干萎凋)

「茶名物大概」より一部抜粋

水気を切った茶葉をむしろの上に薄く広げ、日に干す。いわゆる「萎凋」(いちょう)の工程。むしろの藁の香りが茶葉に移りそうだ。

6.ホイロにかけて炙り、乾燥させる

日に干した茶葉を、運搬用の木箱に詰める。右側の縞文様の着物の男性は、炭を運んでいる。縞だったり、絣だったり、一人一人着物の柄が異なり、芸が細かい。

二段に分かれたホイロにそれぞれ炭と茶葉をいれ、下から熱を当てて炙り、茶葉を乾燥させる。下のねじり鉢巻きをした男性は、火吹き筒のようなものを手に持っている。なお、「日本山海名物図会」には「炭焼」も掲載されている。

茶のホイロは「焙籠」「保育炉」「保育」と、様々な漢字があてられていえる。また、「助炭」(じょたん)、「雪洞」(せつとう)という別名もあったようだ。

7.石臼で茶を挽く

抹茶臼図(ひきちゃうすのづ)。

ホイロで炙った茶葉を石臼で挽く。黒羽織をはおり、煙草盆で悠々タバコを吸っているのは主人かもしれない。曳いた茶は、横に置いてある黒い漆塗り?の箱にしまったのだろうか。

以前、石臼で茶を挽く体験をした時に「一定の速度で挽くのが肝心」と伺った。また、刃の方向が決まっているので、逆方向に挽くと石臼が痛むとも。

その後の製茶方法の発展

この後時代を下って明治29年の宇治の製茶方法が、こちらの「製茶図」絵巻で見ることができる(※抹茶の製茶)。青製煎茶製法が発明された後の時代の製茶方法だ。よしずやカゴ・棚を作る所から、細かく工程が記載されている。

「日本山海名物図会」との違いは、摘み取った生茶は、茹でずに籠にいれて蒸しているほか、萎凋の工程がなくなり、代わりに焙籠で炙っている。焙炉も大型化しており、現在の手揉み用の焙炉とほぼ同じ形状ではないかと思われる。

一度茶壺に詰め、茶の選別をした後、二度目の焙籠で仕上げの乾燥工程に。そして石臼で挽いて完成。作業が終わったら、籠を壊すところまで描かれていて面白い。

目次