急須を供養するための「急須塚」。以前、宮城県仙台市のお寺にある「急須塚」を紹介しまたが、調べた所、日本各地にあることが分かりました。
京都府
建仁寺 堆雲軒の急須塚@東山
建仁寺の境内にあるに塔頭「堆雲軒」(たいうんけん)。
堆雲軒を再興した建仁寺313世・実伝慈篤(じつでんじとく)が、宇治製茶の旧家・上林春松の子だった関係で、五条坂の陶工によって境内に「急須塚」が建てられました。 通常は非公開のため拝見することはできませんが、古渡庵老師(1878-1945年)の時代に建立されたものとのことなので、かなり古いものです。
大阪府
和気山 統国寺の急須塚@天王寺
統国寺は江戸時代には「邦福寺」といい、黄檗宗の別格寺院でした。その名残で、近隣に普茶料理の店「阪口楼」が今も残っています。昭和44年に「統国寺」と命名されて再興し、今に至っています。
当寺は古くより文化人の愛する名勝で、多くの著名人が文化社交の交際場として来訪しており、斉藤茂吉のアララギの大阪歌会もここで頻繁に催されていた。斉藤茂吉、杉浦明平、高安やす子なども往来していたという。
墓地に広瀬旭荘(漢詩人)、藤井藍田(漢詩人)、間長涯(天文学者)、河竹能進(狂言作家)、中村歌六(歌舞伎)など江戸時代の文化人のものがあり、茶道煎茶で有名な田中花月庵が奉祀した急須塚も祭祀されている。
和気山 統国寺の由緒
急須塚は大正時代に改修されていますが、 江戸時代(1835年)に建立されたものですので、おそらく日本で一番古いものではないかと思います。
売茶翁が用いた煎茶道具は、大阪の文人木村蒹葭堂(きむらけんかどう)の後嗣である孔陽(石居)が編んだと伝わる『売茶翁茶器図』にまとめられています。
国会図書館 関西館資料展示「ニッポン茶・チャ・CHA」
展示資料は、大正13(1924)年に、煎茶道の花月菴の人々が急須塚を修築して石碑を建てた記念に再版したものです。急須塚とは、花月菴の初代鶴翁が、天保6(1835)年に邦福禅寺(ほうふくぜんじ)(現大阪・統国寺)境内に設けた供養塚です。鶴翁は、愛玩の茶器が破損した際、同寺に持参し供養しており、門下の人々もこれに倣うようになったといいます。
- 在邦福善寺の急須塚(大阪市天王寺区茶臼山町1-31)※現在は和気山 統国寺
富山県
浮田家住宅の急須塚@富山市
江戸時代の豪農の生活を今に伝える重要文化財「浮田家住宅」の境内に、急須塚があります。こちらは、煎茶道 松風流が、毎年、 お茶の神様と急須の霊に感謝の意を捧げる 「急須塚祭」を開催しています。
静岡県
如嶽山 福應寺の急須塚@富士市
臨済宗「如嶽山 福應寺」に急須塚があります。
こちらのお寺では、「如嶽祭」(にょがくさい)という茶道具の供養祭が行われています。 コロナで近年は中止となっていますが、巨大な茶碗で抹茶を回し飲む「大福茶」の茶席が有名で、急須塚もあり「急須供養祭」も行われています。
宮城県
資福寺の急須塚@仙台市
伊達家ゆかりの禅寺「資福寺」に、仙台の煎茶道4流派の寄進により建立された急須塚があります。各流派の持ち回りで「急須塚供養茶会」も開催されています。