故宮南院訪問レポートの第二弾。アジアの茶文化を紹介する「芳茗遠播」常設展。茶葉香る遙かな旅路。「中国の茶文化」に続き、今回は「日本の茶文化」について。
茶道の常設展「和敬清寂」
「和敬清寂」と銘打たれた展示は、中国の茶器から日本で産まれた茶器まで。
こちらは一瞬、醤油と見間違う唐物の醤釉茶碗。読み方もしょうゆうちゃわん。均整がとれた姿に深い褐色。
楽茶碗
江戸時代の楽茶碗。唐物を見た後だと、武骨さが際立つ。
褐釉茶入
茶入は、中国語だと「茶末罐」と表記するようだ。
仕覆も合わせて展示されており、桃山時代の日本の茶入には、白地纏枝牡丹金襴と青緑地纏枝牡丹金襴が。茶席の主題によって仕覆を使い分け、本当はもう1つ仕覆(柄物四菱緞子)があるそうだが、今回は展示されていなかった。
円柱形の茶入の形状は、中国の福建や広東の様式を模したもので、元は香料の入れ物だったと言う。それが日本に伝わって茶入として用いられ、後に日本の窯でも作られるようになった。
煎茶道の常設展「煎茶茗讌」
茶も茗も、Teaのこと。茶讌(ちゃえん)とは見慣れない言葉だが、日本でも使われている例を発見。
・松永弾正でも織田信長でも、風流もなきにあらず、余裕もあった人であるから、皆茶讌を喜んだ(骨董/幸田露伴)
・蒲生方では政宗が氏郷を茶讌に招いたのは、正に氏郷を数寄屋の中で討取ろう為であったと明記して居る(蒲生氏郷/幸田露伴)
讌は「うたげ」という意味で、茶讌は、茶席・茶会といった意味のようだ。
煎茶道具一式
日本の明治時代の煎茶道具一式が展示されていた。
竹の提梁式提籃に、鈴の茶心壺、青花の茶杯に銅の茶托。茶銚は朱泥の具輪珠。左の竹筒には、仏教の巻物が収納されている。涼炉が小ぶりで、これなら持ち運びしやすそう。売茶翁も提籃を携えて、各地で茶を淹れていた。
竹の茶心壺
こちらも明治時代の煎茶道具。竹製の茶心壺2個セット。錫や陶器の茶心壺はよく見るが、竹製は初めて見た。
箱の表には「竹筒 茶心壺」。裏には、竹の絵と幕末の書家・詩人・医者の江馬天江(1825-1901)の詩が書かれている。残念ながら、なんと書いてあるかは読めず。
斑竹器局
網目の美しい精巧な作りの器局。さりげなく台がついており、一段高くなっている。
中国の福建式(閩式)飲茶法と宜興茶器が日本にもたらされ、その後、煎茶道へとつながっていく。
館内では、茶道・煎茶道の紹介ビデオも上映されていた。台湾で、萬福寺や煎茶道大会の映像を視聴することになるとは思わず。かなり力が入っている展示だった。