隠元禅師の足跡を辿る|中国のゆかりの地と茶

黄檗宗 萬福寺

明末に日本に来日した、隠元禅師。
日本に来日してからのことはよく紹介されていますが、中国にいた頃のことはあまり知られていません。また隠元禅師に関わりのある中国茶には、どんなものがあるのか。来歴を調べてみました。

※上記写真は、黄檗宗 萬福寺(京都府宇治市)。

目次

生誕~幼少時代

福建省福州市に生まれる

隠元禅師(1592/11/4-1673年)は、福建省福州市の人。三人兄弟の末っ子で、父は林徳龍、母は功。

俗姓
諱(いみな) ※ 生前の名前 曾へい(そうへい)
子房
僧名隠元
隆琦

父が蒸発・10才で働きはじめる

6歳の時、父が旅立ったまま帰らず、消息不明に。そのため、10才で学校を退学し、農業と木こりで生計を建て始めます。母子家庭で、小さい頃から働き、非常に苦労したことが伺われます。

23才で仏教の道へ

観音霊場の地で修行@普陀山

23才の時、仏教の道への進み、観音霊場のある「普陀山」で修行します。普陀山は寧波の沖の島で、中国四大名刹(※)の1つ。日本からの留学僧、慧萼(えかく)禅師による開山と伝えられており、日本との関わりが深い寺院です。

※中国四大名刹:文殊菩薩の五台山(山西省)、普賢菩薩の蛾眉山(四川省)、地蔵菩薩の九華山(安徽省)、観音菩薩の普陀山(浙江省)

「茶頭」 を務め、潮音洞で献茶を行う

「潮音洞」(ちょうおんどう)で仏前に献茶し、人々に茶を供する「茶頭」(さず)を一年間務めます。

「潮音洞」は、慧萼禅師が上陸した普陀山発祥の地。断崖にあり、「観音菩薩が姿を表す」という言われがあります。激しく打ち付ける波の音から、潮音洞と名付けられました。古くは女人禁制であり、断崖絶壁から身を投げる捨身行も行われていました。

名刹に銘茶あり。 普陀山の「普陀佛茶

普陀山には、「普陀佛茶」(ふだぶっちゃ)という緑茶があります(普陀山雲霧茶とも呼ばれる)。

あまり日本では見かけないお茶ですが、 一芯一葉または一芯二葉の若摘みの釜炒り茶で、淡い黄緑色の水色をしており、中国緑茶だと「碧螺春」に似ています。唐代からの歴史のあるお茶で、一時途絶えましたが、80年代に復興されました。

金栗山・廣慧寺で修行

その後、1624年に浙江省海塩県にある金栗山・廣慧寺(こうえじ)の密雲圓悟に参見し、密雲という僧の元で修行を修めます。

黄檗山 萬福寺の住持に@福建省福清市

地元の黄檗山・萬福寺(※日本の萬福寺に対し、「古黄檗」と呼ばれる)の艦源興寿に就いて出家し、その後、各地を遍歴します。1637年の46歳の時、萬福寺の住持となります。黄檗山の復興と発展に尽力し、一大禅林を完成させました。

現在の福建省の萬福寺は、衰退や天災等により当時の面影はあまり残っておらず、20世紀になってから再建されたものです。2017年、福建省出身の起業家による莫大な寄付により再建されています。

その後、1654年に来日し、長崎に上陸。当初、日本滞在は3年間の予定でしたが、日本側の強い引き止めもあり、中国に戻ることはありませんでした。1673年に82才で亡くなるまでの19年間を日本で過ごし、宇治の萬福寺に眠っています (開山堂の隣の「壽塔 」が隠元禅師のお墓)。

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