10月某日、比叡山はお膝元、滋賀県大津市坂本の日吉大社にて、神前に茶を奉納する「献茶祭」。
前日は土砂降りで「明日の献茶は無事行われるのだろうか…」と心配になる位だったものの、当日は打って変わり早朝から気持ちの良い秋晴れ。
日吉大社の献茶祭@西本宮 拝殿
日吉大社では毎年、新緑薫る5月に裏千家、秋が深まる10月は黄檗売茶流、紅葉燃ゆる11月は表千家と、年に3回各流派による献茶祭が行われている。
黄檗売茶流が献茶を執り行うようになったのは、2012年からと比較的最近のこと。
坂本は、伝教大師 最澄の故郷。俗名は三津首 広野(みつのおびと ひろの)、渡来人の子孫で両親は、この地の山の神に祈り、最澄を授かったとか。そのため、茶の実を持ち帰りこの地に植えた最澄や、黄檗宗の隠元禅師に感謝するため、毎年5月に日吉大社の茶摘祭に参列し、秋には日吉茶園の茶木から作られた茶により献茶を執り行っている。
一般の方も予約も不要で拝見できるものの、あまり告知されていないので、知られていないかも。
国宝「西本宮」の御祭神は「大己貴神」
献茶祭が執り行われるのは、国宝の西本宮。日吉大社でしか見られない「日吉造」(ひえづくり)という独特な形。
御祭神は「大己貴神」(おおなむちのかみ)。別名を大国主神・大物主神。
天智天皇の時代、大津遷都の際に奈良の三輪山より迎えられ、国家鎮護の神として祀られたと言う。そのため、西本宮と改称される前は、「大神神社」という名称であったとか。大己貴神は、三輪山の大神(おおみわ)神社はもちろん、島根県の出雲大社に祭られており、古事記の「因幡の白兎」でウサギを助けた神様。大黒様の呼び名だと急に親しみが湧くもの。
神仏習合を表す日吉山王鳥居。八十八夜の5月初旬の「茶摘祭」で日吉茶園で積まれた茶の新芽を、大津の中川誠盛堂茶舗さんが製茶。その茶が、この秋の献茶祭で奉納される。
「献茶の前には、清めの雨が降る」とよく耳にしていた所、この日も急に風が吹き、サァーと天気雨。社殿の中の灯も揺れていた。こういった雨を「天泣」(てんきゅう)と呼ぶのだったか。
西本宮に行燈に明かりをともし、御簾を巻き上げ、神饌をお供え。献茶に使われる茶は、本年5月の茶摘祭で摘まれた茶。祝詞、雅楽の演奏、炭手前ののち、通仙庵 中澤孝典家元が茶を淹れ、水引きがついたマスク姿の童子が宮司の方に茶と菓子を手渡し、神前に奉納された。
黄檗売茶流 煎茶席@日吉会館
午後からは献茶祭記念の茶席が設けられ、無料ということもあってか満員御礼。
菓子が足りなくなり、最後のお席は急遽、琥珀糖をお出しするという場面も。まだ紅葉には早い季節だったが、気持ちの良い天気。散策に来ていた方も多かったのかもしれない。
「坂本餅茶」パネル展@日吉会館
日吉会館では茶席の他、唐代の陸羽の茶を再現した「坂本餅茶」作りを展示。
5月の日吉茶園の茶摘みから、「茶経」の製茶方法に沿って餅茶を再現する様子まで。また、中国の正倉院「法門寺」から出土した茶具の紹介も(出典:唐皇帝からの贈り物展 図録)。皇帝に奉納された宝物とのことで、金属製の茶碾や茶杓など、どれもきらびやか。
これらの法門寺の茶具は法門寺博物館の所蔵品で、現在は故宮博物院で開催されている特別展「茶・世界ー茶文化特展」に貸し出されており、北京で見ることができる模様(展覧会期間:2023/9/2~11/30)。
中国茶席「唐風茶宴」@白山宮 拝殿
パネルで紹介された「坂本餅茶」を味わえるお茶席。「茶経」の唐代の茶はこれいかに。
・後援イベント:日吉大社献茶祭&坂本餅茶お披露目会(NPO法人 中国茶文化協会)
白山宮の御祭神「菊理姫神」
白山宮の御祭神は、石川県の白山比咋神社から勧請した「菊理姫神」(くくりひめのかみ)。日本書紀に登場し、黄泉平坂でイザナギとイザナミの喧嘩を仲裁した神。
西本宮と同様に白山宮も社殿を囲むように水が流れており、この水路は更に東に続いて東本宮へ。
白山宮そばには小さな滝も流れており、日吉大社の境内全域に言えることだが、清浄な空気が漂い、非常に気持ちがよい所。本殿西側には、恭しく玉垣に囲われた磐座が。気になって帰宅してから調べた所、「雪丈岩」(ゆきたけいわ)と言い、勧請にまつわる逸話がある霊石とか。
日吉大社(摂社 白山姫神社) 滋賀県
本殿の西側には、高さ1メートルほどの「雪丈岩(ゆきたけいわ)」と呼ばれる岩がありますが、天安2年の御遷宮の際に6月にも拘わらずこの岩の丈程に雪が積もり、白山からの御出現を表したそうです。
※出典:白山本宮・加賀一ノ宮 白山比咩神社サイト
白山宮(しらやまぐう)の拝殿
茶席の開催場所は、白山宮(しらやまぐう)の拝殿。風通しがとてもよく、このような場所で茶を頂けるのは至福。
今回の茶席では、日吉大社 東本宮奥の湧き水を使用しているとのこと。茶経の「山の水が上、川の水が中、井戸の水が下」のうち、上とされる山の水。
東本宮には「茶をいれるのによし」と言う「亀井の霊水」がある。この霊水は汲むことはできないが、東本宮の後方の湧き水は誰でも汲むことができる(詳しくは以下の記事参照)。
唐代の煮茶法
席の関係上あまり見えなかったものの、煮茶法のおおまかな手順は、以下の通り。
- 餅茶を炭火で炙る。香りを保つために紙で包む
- 茶が冷めたら茶碾(ちゃてん※)で挽き、粉末にする ※薬研のような道具
- 茶をふるいにかける
- 釜の湯が沸き始めたら(一沸)、塩を少々いれる
- 気泡が連なるようになったら(二沸)、湯を1杯くみだし、竹の箸で湯を攪拌して茶を投入する
- 釜に湯冷ましをいれ、「茶の華」を育てる(三沸)
- 茶が熱いうちに茶碗に汲み分ける
茶の華、餅茶の色と味とは?
茶経で最も気になっていた「茶の華」を育てる所は、道具組みの位置関係から見ることは能わず。京都 伏見の椿堂茶舗さんの記事で読んで興味深かったので、実物を拝見したかったのだけれども無念。茶の華がどんなものか。以下の記事で見ることができ、ありがたし。
- 陸羽の茶を感じる( 椿堂茶舗 龍峯のブログ「茶遊紀行」)
「茶の水色は褐色だろう」と想像していたので、いざ目の前にお茶が出されると、緑であることに驚きを隠し得ず。「茶の華」の泡は消えており、現代の煎茶に近い見た目。味はと言うと、苦味や渋味といったものはなく、あっさりとしたごくごく淡い味。塩味もほぼ感じない。茶の粉末が底に沈んでいるが、粉っぽさは感じない。茶碗は越州窯の青磁、菓子は干し柿。
今回の餅茶は、唐代の方法では難しいことから最終乾燥は当時の方法で再現していない・餅茶を冷蔵保存(いわば現代の文明の利器を使用)、ま席の運営上、餅茶を炙る時間が短かった、という話を伺ったので、そのために緑茶になったのではないかと想像。書かれていないことも多いし、忠実に再現することは難しいもの。
…しかし、もしかしたら唐代においても軽い炙りで淹れ、緑茶で飲まれることもあったかもしれない…などと妄想を膨らませてみると、それはそれで楽しい時間(あくまで妄想の域を出ない話)。
そうこうしているうちに、2023年も残り43日。
この1年を振り返ると、初煎の記憶も冷めやらぬうちに頚椎椎間板ヘルニアを発症。元気が取り柄のような人間であったのに、急須を手に取っても刺すような痛みが走る状態で「鎮痛剤が友」という日々。年初から色々と計画していたこともままならず無念の中、治療に専念して数か月。無事快復し、「どこにも痛い所がない」というのは、本当にありがたいこと。健康にまさるものなし。