1654年(江戸初期)に中国・明より来日した隠元禅師は、中国から茶罐(ちゃかん)という茶器を持参していました。隠元禅師のお茶の淹れ方は、沸騰した湯の中に茶葉を入れる方法で、当時の中国で行われていた「唐茶」と呼ばれる飲み方でした。
中国宜興製の紫泥大茶罐
隠元禅師が中国から持参した茶罐は、宜興窯(ぎこうよう)の紫泥の茶壺(中国語読みはチャフー)。中国茶器の名工・時大彬(じだいひん)の作です。胴体には「時大彬做壺」と、時大彬の落款が彫られています。
この茶罐は隠元禅師の遺品として、萬福寺に保管されています。(※普段は公開されていないので、見ることができません)
- 紫泥大茶罐(しでいだいちゃかん)※正しくは「石編の罐」ですが、常用漢字ではないため、罐の字を当てています。
- 紫泥茶罐(しでいちゃかん)
直火にかけられる茶器
大茶罐は、約19cmとかなりおおぶりなもの。この茶罐でお茶を淹れていました。具体的にどのようにお茶を淹れていたのかは分かりませんが、茶罐の底には火にかけた跡があり、内部には当時の茶の残滓が残っているとか。煮出していたのか、湯沸かしとして使い、火から下ろしてから茶葉を投じていたか、いろいろな可能性が考えられます。
茶熟清香間 客来一可喜
茶鑵の胴体には、以下の漢詩が刻まれています。
茶熟して清香有り (清らかな香りのする、美味しいお茶が入った)
客到るは一に喜ぶべし(丁度良く客人がやって来た。なんと嬉しいことだろう)
ゆったりとした幸せなお茶の時間と、客人と共に分かち合う喜びが表現された一首です。
隠元禅師の飲んでいたお茶
現代の黄緑色の煎茶とは異なり、隠元禅師の頃のお茶(中国茶)は釜炒りした茶で、水色は茶色でした。
是茶を沸湯の中に入れて火を以て煮ず、香気の発するを待って飲む。
世俗に云う、隠元禅師始めて日本へ此の法を伝うと云えり。
青湾茶話(大枝流芳、1756年)
黄檗宗の禅院での生活規範「黄檗清規」(おうばくしんぎ)の中には、茶摘みの仕事が定められていました。
萬福寺では、門前に茶木を植えて、製茶を行っていました。その茶は「隠元茶」と呼ばれ、月餅とともに来客への土産にしていたと言われています。
明の時代の淹茶法
当時の茶の淹れ方は、「淹茶」(だしちゃ/えんちゃ)という明代の茶の淹れ方で、とても香り高いお茶だったようです。
煎法、蒸焙の茶は烹るに宜しく、炒り茶は淹煎に宜し。法則、先ず湯の茶を烹るべきを候いて、茶を急に瓶に投れ、即手に火炉を去りて、盆上に置き、一霎刻(しばらく)熟するを待ちて飲すべし。熟味の候は、瓶中の茶葉の沈めるを節とす。
清風瑣言(上田秋成/1794年)
清風瑣言によれば、まず湯を沸かし、沸騰した湯の中に茶葉を入れ、すぐに火から降ろします。しばらく茶を蒸らし、茶器の中の茶葉が沈んだら、飲み頃です。このように、とても高い温度で茶を淹れて楽しんでいたようです。
当時の茶会の様子を詠んだ「雪中煮茶」
隠元禅師は、当時の風流な喫茶の情景を漢詩「雪中煮茶(せっちゅうしゃちゃ)」に残しています。
無事 閒かに烹る 白雪の茶 (つつがなく しずかに白雪で茶を淹れる)
単伝の一味 通家を待つ (「茶禅一味」を受け継ぐ 弟子達を待つ)
天翁 特に清貧の士に賜う (この雪は、天の神が清貧の人に賜わったもの)
竟日 翩翩として玉花を散ず(日がな、花のようにひらひらと舞い散る)
雪の降りしきる美しい景色の中、弟子達とともに茶を飲んだ様子が、ありありと浮かぶ一首です。
参考資料
- 笠森お仙と隠元薬罐(西村俊範、2017)
- 日本の喫茶文化の歴史(Sience Portal China)