日吉大社の最古の祭神|山神のサル

赤坂山王 日枝神社の神猿像

煎茶文化絡みで比叡山麓の日吉大社の歴史を調べていた所、神使の猿について、1つ興味深い事実を見つけました。

※上部画像: 赤坂山王 日枝神社の神猿像(鈴木慶雲氏 作、昭和42年奉納)

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猿は神の使いではなく、日吉大社の「元々の祭神」

日吉大社

日吉大社といえば、神の使いの猿「神猿」(まさる)が有名ですが、実は元々の祭神はサルだったとか。

即ち最古の祭神は原始的な山神としてのサル(大行事権現)、その後に来たのが二宮(東本宮。大山咋神)、最後に来たのが大宮(西本宮。大和の三輪明神)であった。

後から来た大宮に主祭神の座を譲った二宮は地主神(産土神)と位置づけられ、それより古いサル神は主祭神の使者と位置づけられて落ち着いた。

今昔・三国伝記の世界(池上洵一 著、2008年、著作集 第3巻)

祭神の入れ替わりは、全国いたるところで見られる現象であり、日吉大社では少なくとも二度の交代があったことがわかっているとのこと。

猿神「大行事権現」

これによれば、日吉大社の最古の神様は「大行事権現」です。大行事権現とは、大山咋神の父である「大歳神」のことで、猿面の神様。東本宮本殿の左後ろにある大物忌神社に祀られており、社殿の後方には「大行事水」と呼ばれる清水が湧き出ています。

室町時代に描かれた「日吉山王宮曼荼羅図」(1447年、奈良国立博物館 所蔵)を見ると、図の上部に祭神の姿があり、「新行事」「大行事」が猿面で描かれています(下段の左側から4・5人目)。

また「日吉山王垂迹神曼荼羅」(坂本蔵之辻伴)では、橋のたもとに3人の神使の猿が描かれています。

「神猿」はそもそも神様だったが、神使の座に降ろされてしまった、というわけです。日吉大社の社殿の配置も、こういった政権交代の歴史を色濃く反映しているのものかもしれません。

猿神退治伝説

なお、関連して、こういった「猿神退治」の説話は日本各地に残っています。

古い文献ですと、今昔物語集(平安時代末期)の、巻26六第7「美作国の神、猟師の謀に依りて生贄を止めたる語」、 巻26第8「飛騨の国の猿神、生贄を止めたる語」 に見ることができます。

また、宇治拾遺物語(鎌倉初期)にも「吾嬬人止生贄事」という 今昔物語集と同系統の話があります。

ストーリーは、古事記のヤマタノオロチ伝説と似ていて、 「若い女性を人身御供に求める神を、犬を使って退治する」というもの。白い犬であることが多く、 神の正体は巨大な狒々(ヒヒ) 。「年老いた猿が狒々に化ける」といい、狒々は頭がよく神様のマネをするんだとか。

猿神退治が残る寺社仏閣

日本各地に残る猿神退治の伝説をまとめました。 霊犬が退治する話が多く、一番有名なのは 「悉平太郎」(しっぺいたろう) で、下記以外にも日本各地に昔話として伝わっています。

4世紀の中国東晋で編纂された「捜神記」にも、祟り神の猿神を退治する話があり、中国の民間伝承が仏教などと共に日本に伝わった可能性も高いです。

地域   神社     犬の名    備考
静岡県
磐田市
見付天神悉平太郎 日本で唯一、犬を祀る神社。
見付天神/霊犬神社(日本伝承大鑑)
長野県
駒ヶ根市
光前寺 早太郎 霊犬 早太郎伝説(光前寺)。早太郎の墓がある。
まんが日本昔ばなし」でも有名。
石川県
七尾市
大地主神社
山王神社
しゅけんこちらは犬ではなく白い狼で、三匹の猿を退治。
猿神退治の話「山王社の人身御供」
石川県
鳳珠郡
岩井戸神社
(猿鬼の宮)
岩井戸神社 猿鬼(日本伝承大鑑)。
犬は出てこない。
岡山県
津山市
中山神社
猿神社
※不明「今昔物語集」26巻 7話より。
中山神社 猿神社 (日本伝承大鑑)
兵庫県
宍粟市
大歳神社鎮平犬
兵庫県
姫路市
神明神社 ※不明 「播磨鑑」に猿神退治の昔話があり、 犬飼の地名の由来とされる。境内に犬塚・ヒヒ柄がある。
山形県
天童市
妙見神社べんべこ太郎猿神退治の昔話と、犬のべんべこ太郎の墓がある。
べんべこ太郎の墓 (日本伝承大鑑)
山形県 八幡神社 しっぺい太郎猿神退治の昔話がある。
山形県は他にも同様の伝説が多い(※参考)。

また、大阪の野里住吉神社にも狒々退治伝説があり(※)、人身御供の伝承を伝える珍しい神事「一夜官女末祭」が現在も行われています。また、福井県敦賀市の稲荷神社でも、同様の「初午祭」(古くは御供祭)という神事が行われています。

※ 岩見重太郎の狒々退治伝説。犬は出てきません。大阪以外の地域でも、各地に伝説が残っています(例:岩見重太郎武勇伝「ヒヒ退治」(山形県新庄市)

猿神退治は、 政権交代の暗喩だけでなく、長い歴史の中で人間中心主義となり、人と自然の関係性が変わったことをも表しているように思います。

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