東京国立博物館本館 の総合文化展で、「茶室起こし絵図」が展示されていました。
江戸時代(19世紀)に作られた紙本墨画で、松平定信(白河楽翁)が収集したもの。100年以上前の物とは思えない綺麗な状態で、茶室の構造がよくわかり、興味深いものでした。
起こし絵図とは?
「起こし絵図」(「建て絵図」とも)とは、日本伝統の折畳み式の簡易模型です。
現代の設計図面の展開図にあたるもので、茶室などの設計の際に利用されました。和紙に窓や戸・天井などの図面を描き、壁面を折り曲げて組み立てることで、立体図面になります。
注文主に建築の知識がなくとも、建造物の構造や意匠の仔細がよく分かるため、複雑な茶室の注文時などに作られました。
建具の種類や寸法などの詳細も書かれており、設計図と模型の役割を合わせ持っています。桃山時代には既に存在し、江戸時代に盛んに作られました。
折り畳み可能な茶室模型
起こし絵図の特徴は、立体に組み上げた後も、元の平面に戻せることです。そのため、普段は折り畳んで保管し、拝見する時に立体模型に組み立てます。
現存しない茶室の詳細を把握でき、茶室の復元や写しを建造する際にも、当時を知る資料としてとても貴重なものです。
千利休を祀る「利休堂」
「利休堂」(りきゅうどう)は、千家の祖・利休像を祀る小堂のこと。煎茶道で言えば、「売茶堂」が利休堂にあたるものかと思います。
展示されていた利休堂は「茅葺屋根の四畳半茶室」でしたので、表千家の利休堂(祖堂)と思われます。円窓の奥に、利休像(仏師・隠慶作)が鎮座しています。
<三千家の利休堂>
- 裏千家:利休100年忌に4代仙叟宗室が建立。三畳台目。利休像は仏師・隠達作
- 表千家:利休150年忌に7代如心斎が建立。四畳半の茅葺屋根で「點雪堂」と言う
- 武者小路千家:明治時代に11代一指斎が建立。四畳半で切妻造り銅板柿葺の屋根
裏千家茶室「今日庵」
今日庵(こんにちあん)は、1648年頃に建設された裏千家のお茶室です。千利休の孫・千宗旦の隠居屋敷として作られ、後に裏千家に受け継がれました。
- 裏千家 今日庵(〒602-0061 京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町613) ※非公開
起こし絵図には、床縁の素材(杉丸太)や畳床のサイズ(長4尺3寸、甲2尺4寸)、折釘の位置など、細かく指定されていることが分かります。
表千家茶室「不審庵」
不審庵(ふしんあん)は、京都市左京区にある三畳台目の草庵茶室です。
元々は、利休が大徳寺門前の屋敷に作った茶室(四畳半)の名前だそうですが、現在の不審庵は、千宗旦が三男の江岑宗左(こうしんそうさ)と建てた茶室が原型だそうです。
宗旦は不審庵を江岑宗左に譲り、今日庵に隠居しました。尚、不審庵はたびたび火災などに遭い、現存の不審庵は、大正2年(1913年)に再建されたものです。
不審庵の名の由来
「不審庵」の名は、禅語の「不審花開今日春」(いぶかし はなひらく こんにちのはる)に由来します。
不審とは「いぶかしむ」ことですが、この禅語では不思議に思う心、といった意味で、春に花開く不思議に自然の偉大さを感じる心を指しているのではと思われます。
誓願寺塔頭「竹林院」
浄土宗西山派大本山・誓願寺の55代法主・安楽庵策伝(1554-1642年)が、隠居した竹林院に建てた茶室で、名は「安楽庵」と言います。策伝は、茶道の流派「安楽庵流」を打ち立てた茶人でもあり、落語の祖でもあるとか。
明治6年に竹林院は廃寺となり、同じく誓願寺塔頭の頂源院に統合されました。竹林院の茶室を再現した茶室が、愛媛県松山市の温泉旅館「道後館」にあるそうです。
- 茶室「儒安堂」(道後館)
東京国立博物館には、今回公開されていた絵図以外にも、建仁寺や東大寺の「茶室起こし絵図」などが収蔵されています。頻度は低いようですが、たまに展示されているようです。
- 日本の博物学シリーズ「起絵図」(2005年 東京国立博物館)