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茶話

長崎平戸の和菓子アート|東西百菓之図~Sweet Hirado~

長崎平戸の和菓子_sweetHirado

現在の砂糖を使った和菓子のルーツの1つは、南蛮菓子といわれている。江戸時代、国際貿易の窓口であった長崎の平戸では、異国から砂糖や南蛮菓子が伝来し、砂糖菓子文化が花開いた。

その歴史を受け継ぎ、新たに現代における美しい平戸菓子を作るプロジェクトがある。

長崎と砂糖と南蛮菓子

江戸時代、長崎の離島・平戸は、異国文化の玄関口として栄えた地。

「西の都・フィランド」(FIRANDO)とも呼ばれ、慶長14 年(1609 年)に日本初のオランダ商館が、慶長18 年(1613年)にはイギリス商館が設置された。出島にオランダ商館が移転するまでの 33 年間、海外窓口として、平戸は東アジアにおける貿易拠点だったという。

シュガーロード「長崎街道」 

平戸和菓子_sweetHirado「ゆっくりとした欠片」

オランダ・ポルトガルから南蛮菓子が渡来し、また、砂糖も大量に輸入されるように。別名シュガーロードと言われる「長崎街道」を通り、砂糖は江戸へ京都へと日本各地に運ばれていき、砂糖菓子文化が花開く。

江戸の頃、砂糖製のものを専ら「菓子」を言うようになったことが、江戸時代の百科事典「類聚近世風俗志」に書かれている。

類聚近世風俗志 原名守貞漫稿』巻之五(生薬 上)

類聚近世風俗志 原名守貞漫稿 ※出典:国立国会図書館デジタルコレクション

因伝今世、菓子と云ば砂糖にて製したる物を云ふ。

本来は菓子・木の実ともに一物也といへども、砂糖製の物を専らくわしと云により、京坂にて桃・柿・梨・栗の類を「このみ」と云ふ。江戸にてはこの類をみづくわしと云。水菓子也。

右の糖製の類は別名を命じて可ならん歎と覚ゆ。今世右の類甚だ多く文書の上にては年を経、地を異にす時、其実の違ふこと甚多し。

※出典:類聚近世風俗志・原名守貞漫稿(巻之五、生業上)(喜田川舍山守貞、1853 年)

菓子図鑑「百菓之図」

百菓之図

平戸には、珍しい書物が現存している。平戸藩主の松浦家に伝わる菓子図鑑「百菓之図」。

約200年前、松浦家35代当主の松浦凞公が6年の歳月をかけ、製作した色鮮やかな図鑑だ。カステラの原型「カスドース」など、 百個の菓子銘と菓子の作り方が掲載されている。

また、平戸は茶とも関わりが深い。宋の抹茶法を日本に伝えた栄西は、平戸の葦の浦(現在の古江湾)に帰国。禅院「冨春庵」を建て、茶園「冨春園」を作ったという。

藩主の松浦鎮信は武家茶道「鎮信流」を創設、茶と共に砂糖菓子文化が発展した。そして、この「百菓之図」から着想を得たプロジェクトが始動した。その名も「東西百菓之図」。

現代の百菓を作る「東西百科之図」

平戸和菓子_sweetHirado

「東西百菓之図」は、オランダのクリエーターが、平戸の菓子職人とコラボレーションした菓子プロジェクト。「現代の百菓を作ろう」と、伝統的な平戸菓子をアレンジした24種類の「Sweet Hirado」が誕生している。

Sweet Hiradoの和菓子アート

青のお菓子「天国への道」

長崎平戸の和菓子_sweetHirado

地球のように見える、寒天の和菓子。

この青い色は、シンガポールから取り寄せた「バタフライ・ピー」という花の色素だとか。最近話題の「青い茶」も、同じく青い花のバタフライピーを使っている。レモンなどの酸性のものを入れると紫色に変わるとか。

寒天に浮かぶワカメ「水枕」

平戸和菓子_sweetHiadoの水枕

こちらは、寒天と梅酒のゼリー。中には、なんとワカメと小石に見立てたお米が。ワカメが膜のようになって、黒文字では少々切りづらい。縦には切れず、横に切るのが得策かもしれない。

水枕の菓銘とデザインは、江迎本陣跡にある「枕水舎」(ちんすいしゃ)より。 庭の池に張り出していることから、百菓之図を編纂した松浦熈がこの名をつけたとか。

洋風な「座禅しているお宗徒さん」

平戸和菓子_sweetirado「座禅しているお宗徒さん」

鮮やかな赤紫は、ハイビスカスパウダーの色。

中には、ダークチョコレートのトリュフ。上に乗っているぼんぼりは、ヘーゼルナッツの砂糖漬け。洋菓子そのものだが、菓子銘はなんとも和風。この形は、平戸の槇(マキ)の実からインスピレーションを受けたと言う。

オランダのクリエイターの方のセンスと、それを実現する和菓子職人の腕が光る。平戸菓子「Sweet Hirado」は、公式WEBサイトから注文することができる。

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