世界にはさまざまな茶文化があるが、「茶そのものを祖先」と語り継ぐ民族は極めて珍しい。
中国雲南省とミャンマーの山岳地帯に暮らす徳昂族(デーアン族、中国語:Déángzú)は、自らを茶の神の末裔と考え、茶を人生のあらゆる場面で大切にしてきた。
中国では古くから茶の栽培に携わってきたことから「古老茶農」(古くから茶を育ててきた人々)とも称される少数民族だ。本記事では、創世神話などを通して、徳昂族の茶文化を紹介する。
茶を祖先に持つ徳昂族

徳昂族は、中国雲南省西部からミャンマー北東部の山岳地帯にかけて暮らす少数民族である。現在の中国では約2万人余りが暮らし、その多くが臨滄市や徳宏州など茶産地に居住している。
古くから茶樹の栽培を生業とし、中国では「古老茶農」とも呼ばれる。彼らの生活は茶畑とともにあり、茶は単なる農作物ではなく、民族の起源そのものでもある。
唐代の樊綽(はんしゃく)が著した「蛮書」には、「茫蛮(ぼうばん)」という人々が登場する。現在では、この茫蛮が徳昂族の祖先集団の一つであったと考えられている。
「蛮書」は9世紀の雲南地方の民族や風俗を記録した重要な史料であり、当時の少数民族の暮らしや服飾、茶産地の様子を知るうえで欠かせない文献である。
※民族名の表記について
ミャンマーでは、ビルマ語名の「パラウン族」(Palaung)として知られている。
中国ではかつてパラウン族の音訳で「崩龍族」と呼ばれていたが、「崩龍」はタイ系民族による他称で、蔑称的な意味合いを含むとされたことから、1985年9月、国務院の批准により「徳昂族」へと改称された。
「徳昂」は彼らの自称を漢字で音写した名称で、中国では「石岩」を意味すると説明されることもある。
上記を踏まえ、本記事では「徳昂族」と表記する。
茶を祖先とする創生神話

徳昂族には、「自分たちは茶の神の子孫である」という創世神話が伝えられている。
天界には1株の茶の木があった。茶の木は大地を天界と同じように美しくしたいと思い、知恵の神が試練を与えて試すことになった。
102枚あった茶の木の葉の半分は人間の若者に、半分は娘に変わった。(※中略)
50人の娘たちは腰につけていた腰箍を外して天界に帰ったが、一番下の娘だけは腰箍を外さず、一番下の若者と一緒に大地にとどまった。これが、徳昂族(パラウン族)の始祖となった。
「漆がつなぐアジアの山々」展の展示パネル「少数民族の輪飾り」

天界には一本の茶の木があり、「大地も天界のように美しくしたい」と願った。
知恵の神が茶の木に試練を与え、102枚あった茶葉は人間へと姿を変え、51人の若者と51人の娘になった。娘たちは腰につけていた「腰箍(ようこ)」を外せば天界へ帰ることができた。しかし、一番年少の娘だけは腰箍を外さず、一番年少の若者とともに地上へ残ることを選んだ。この二人が徳昂族(パラウン族)の始祖になったという。
この神話から、徳昂族では茶そのものが祖先であり、神聖な存在として受け継がれてきたのである。
「腰箍」(ようこ)とは?
この神話に登場する腰箍(中国語ではヤオグー)は、空想上の道具ではない。
藤や竹、あるいは銀糸などを編んで作られる、徳昂族女性の伝統的な装身具である。
徳昂族では、女性は成人すると腰に数本、多い場合には数十本もの腰箍を身につける。腰箍は成人女性の象徴であると同時に、美しさや家柄、編み技術などを示す装身具でもあり、恋愛や婚姻に関わる贈り物となることもある。
神話では「天界へ帰るための道具」として描かれる一方、現実には成人女性の象徴でもあることから、神話と実際の風習が重なり合っている点が興味深い。
唐代の樊綽による『蛮書』巻四には、徳昂族の祖先集団の一つと考えられる「茫蛮」について、次のような記述がある。

※出典:国立公文書館デジタルアーカイブ
樓居、無城郭。或漆齒。皆衣青布袴,藤篾纏腰,紅繒布纏髻,出其餘垂後為飾
蛮書(著:樊綽、唐代) ※出典:国立公文書館デジタルアーカイブ
これは「人々は高床式住居に暮らし、城郭は持たない。城郭は持たない。歯を黒く染める者もおり、青い布の袴を着け、藤や竹を細く割いたもの(藤篾)を腰に巻く。また赤い絹布で髪を結い、その余りを後ろへ垂らして飾りとしていた。」という意味だ。
現代の徳昂族女性が身につける藤製の腰箍は、この「藤篾纏腰」の習俗を受け継ぐものと考えられており、少なくとも千年以上の歴史を持つ服飾文化であることがうかがえる。
なお、腰箍の実物は、下記の中国サイトで見ることができる。
- 德昂族腰箍(2018/01/6、临沧人民政府网)
茶を用いる人生儀礼
徳昂族にとって、茶は日々の飲み物であるだけでなく、人生の節目を彩る神聖な存在でもある。
産湯に茶湯を使用し、棺の中へ茶葉を敷く風習が伝えられている。また、婚姻儀礼では、男性は茶葉をバナナの葉で包み、竹籠に入れ、塩とともに女性へ贈る。茶と塩は、生命や豊穣、末永い繁栄を願う贈り物とされている。ゆりかごから墓場まで、茶に彩られている。
雲南省に居住する少数民族徳昂族は、自らの祖先を「茶」であるとする創世神話を持っている。
彼らは、子供が生まれるとお茶の産湯に浸からせ、人が亡くなると棺に茶の葉をひきつめる。
文字を持たない彼らは様々なメッセージにもお茶を使っている。
お茶の種類(製茶法や品種は未確認)や包み方(竹の籠にいれたり、竹の皮で包んだり)によって、それが助けを求めている合図であったり、祝い事がある知らせであったりするという。
茶文化交流の向こうにあるもの(上原美奈子、2013年)
さらに、徳昂族は固有文字を持たなかった時代には、茶を「手紙」のように用いたという。茶の種類や包み方、竹籠や竹の皮などの違いによって、
- 助けを求める知らせ
- 祝い事の知らせ
- 訪問の依頼
など、さまざまな意味を伝えたとされる。
茶は飲み物であるだけでなく、人と人を結ぶ「言葉」の役割も果たしていたのである。
茶樹そのものを神聖視する民族
徳昂族では、茶は祖先であると同時に、神聖な存在でもある。
そのため、古い茶樹を大切に守り、むやみに傷つけたり伐採したりすることを避ける地域もある。茶畑は単なる農地ではなく、祖先から受け継いだ大切な財産であり、精神文化の象徴でもある。
雲南省は世界有数の古茶樹の産地として知られるが、その地で長年茶を育み、茶樹への畏敬の念を受け継いできた徳昂族の存在は、茶と人との深い関係を物語っている。
「飲む」だけでなく「食べる茶」。酸茶という文化
徳徳昂族には、お茶を飲むだけでなく、茶葉そのものを食べる「酸茶(さんちゃ)」の文化がある。
雲南大葉種の生葉を用い、殺青・揉捻の後、空気を遮断して発酵させる発酵茶である。地域によっては竹筒や甕などを用いるなど製法には違いがある。
飲用にするものと、料理として和えて食べるものの二種類があり、酸味と渋味をもち、年数を重ねるとオリーブや金木犀、乳香を思わせる複雑な香りへ変化するといわれる。
その起源については、戦乱の時代、兵士たちが携帯食として発酵茶を持ち歩き、一日中甘い余韻が続いたという言い伝えも残る。ただし、これは伝承の一つであり、史実として確認されているわけではない。
この「徳昂族酸茶制作技芸」は、2021年に中国の国家級無形文化遺産へ登録された。
さらに2022年には、ユネスコ無形文化遺産「中国の伝統製茶技術とその関連習俗」を構成する技術の一つとして登録され、国際的にもその価値が認められている。
おわりに
茶は世界各地で飲まれているが、「茶そのものが祖先という神話を持つ民族は極めて珍しい。
徳昂族にとって茶は、祖先であり、神であり、暮らしを支える糧であり、人生儀礼の中心でもある。茶を飲み、茶を食べ、茶を贈り、茶樹を敬いながら暮らす姿には、茶が単なる嗜好品ではなく、人と自然を結ぶ精神文化であることが表れている。
茶の起源は中国西南部にあると考えられ、雲南省には今も樹齢数百年から千年を超える古茶樹が数多く残されている。その茶の故郷で、「茶は祖先である」と語り継ぐ徳昂族の存在は、茶文化の原点を考えるうえでも極めて貴重である。
中国雲南省からミャンマーの山岳地帯へと続く茶の道には、千年以上にわたって受け継がれてきた、茶とともに生きる民族の歴史が今も息づいている。
