春花園盆栽美術館@東京|世界に誇るBONSAIの世界

春香園BONSAI美術館

江戸川区にある、春花園盆栽美術館へ(※春花園BONSAI美術館とも)。

小岩駅からバスで20分ほど揺られると、住宅街の一角に、世界各国の国旗に色どられた檜皮葺の入り口が。

春香園には、1,000鉢以上の盆栽が立ち並び、中には樹齢数百年のものも。1鉢1鉢に、自然の美しさが凝縮されている。これまで接点がなく、盆栽は未知の世界だったが、その魅力に開眼する場所だった。

目次

巨匠・小林國雄さんが作り上げた盆栽園

春花園盆栽美術館

こちらの春香園は、盆栽会の巨匠・小林國雄さんが一代で築き上げた盆栽園だという。

800坪の広々とした敷地に、初心者でも名品と分かる風格の盆栽が勢ぞろいしている。

今や「BONSAI」で、世界に通じる盆栽。世界各地から盆栽好きが集まり、住み込みで働く内弟子の方も多いとか。受付や水やりをしている方も、海外のお弟子さんの姿がちらほらと。

  • 春花園(〒132-0001 東京都江戸川区新堀1-29-16)

庭園の盆栽

 春香園BONSAI美術館の盆栽

威風堂々とした松。苔むし古色を帯びた幹。

美しく整えられており、日本画を見ているような錯覚を覚える。1つの盆栽から、大自然の風景が広がる。

「春香園の近所に住んでいる」という盆栽愛好家の方が、親切に案内してくださった。

ボランティアとしてよく春香園に足を運んでおり、そのような常連の方が何人もいらっしゃるとか。とても愛されている場所だと感じる。盆栽について、様々なお話をお聞きすることができた。

盆栽「松」

日当たりのよい庭、暑さに負けず緑が濃い。こちらはも威風堂々とした松。黒々とした幹に力強さを感じる。

針金を巻き付け、低く低く枝を下げて形を整えている所。

春花園の盆栽

下から見上げれば、大樹にしか見えない。

幹も古木の風情。「鎮守の森」の樹木、と言われても信じてしまう。鉢の中に、自然が凝縮されている。1本1本がとても個性的。生きた芸術品。

春香園では、1日体験や盆栽教室も開催していて、英語や中国語もOKのため、海外から参加する方も多いそう。この日も様々な国の方が訪れていた。

また、イギリスで活躍している盆栽作家・ピーター・ウォーレンさんも、お弟子さんの一人。ロンドンに工房「Saruyama」(猿山)を構え、英語の盆栽本も出版し、精力的に盆栽を広めている。

春香園にピーターさんの書籍が販売されており、ちらりと見せて頂いた。写真が多く、分かりやすく丁寧に書かれている。

床飾の盆栽

盆栽「真柏」&軸「瀧」

数寄屋建築の建物内にも、床飾りに盆栽が。

躍動感のある白い木肌の「真柏」(シンパク)に、滝のお軸。「盆栽・掛け軸・置き物(水石など)」の三点セットで飾られている。

整えられた空間と余白に、盆栽の美がより際立つ。花台や水石など、和よりも、どちらかというと中華の雰囲気を感じる。

春香園BONSAI美術館の茶室

この建物だけでも、一見の価値があると思う。

3つの床の間「春の間」「花の間」「園の間」に、奥には茶室「無窮庵」。小間の茶室が見たことのない造りで、ご神木のような巨木が。謂れをお聞きするのを失念していた。

茶室に座すと、せせらぎが聞こえる。錦鯉の泳ぐ池に、水が引き入れられている。

 盆栽「真柏」&軸「気韻生動」

こちらも真柏に「気韻生動」のお軸。荒々しい樹幹。

まるで、山水画からそのまま木が飛び出してきたような印象を受ける。真柏は、幹や枝の一部が枯れて白骨化する。白く枯れた幹は、仏の骨を意味する「シャリ」(舎利)、白い枝は「ジン」(神)と呼ぶそう。「1本の木の中に、生と死がある」、と伺う。

盆栽「紫夏藤」
こちらは、紫夏藤(ムラサキナツフジ)。花を楽しむ盆栽。お軸には蝶が舞い飛ぶ。

藤と名はついているが、長く垂れ下がって咲く通常の藤と異なり、紫夏藤は枝なりに咲く。別名は、酢甲藤(サッコウフジ)。琉球醋甲藤・台湾醋甲藤・薩摩醋甲藤などがあるとのこと。

紫夏藤の花

濃い紫色の花は、開くと左右対称で蝶のような形に。

マメ科の花の特徴で、「蝶形花」(チョウケイカ)と言うそう。お軸と符合。花が一輪変化して、軸の蝶となったか。

水石(山水景石)

盆石

盆栽・水石(古くは盆石とも)は、いずれも文人文化の文房清玩に付随するものと言う。

砂を敷きつめた水盤の上に自然石を配置したり、石の形に合わせた台座の上に置いて飾り、鑑賞する。一石で、自然の風景を表す。枯山水を更に凝縮させたもの、という印象を受けた。

春香園の説明板では、江戸時代の文人「頼山陽」が水石の愛好家であったことが記されていた。水石については改めて調べてみたい。

水石と盆栽について

盆栽の歴史

盆栽の起源

春花園盆栽美術館

中国の唐代、則天武后の息子・李賢の墓の壁画に盆栽が描かれており、これが盆栽のルーツではないかという。

実際の壁画を見ると、従者が鉢を捧げ持っており、木ではなく石から草花が生えているように見える。

また、朝日新聞の記事に、盆栽の起源が掲載されていた。日本で「盆栽」の文字が現われるのは、江戸末期の煎茶会で飾られるようになってからだという。

中国に起源をもつ盆栽は平安時代に日本へ伝わり、盆山(ぼんやま)、鉢植(はちうえ)と呼ばれていた。盆栽の文字が出版物に登場するのは江戸時代後期。

園芸書「草木育種」の中で「盆栽(はちうへ)は土乾(つちかわか)ず湿(しけ)ず、よく下へ水の抜(ぬけ)るを第一とす」と栽培の解説に現れる。

ただ読みは「はちうへ」で、「ぼんさい」の呼称が定着するのは江戸末期に中国趣味の煎茶会で飾られ、漢語風に呼ぶようになってから。

※出典:子規や漱石、病床で盆栽に癒やされる 埼玉で企画展(朝日新聞 2018/9/10)

何も知らずに訪問したのだが、思わぬところで煎茶につながり、驚く。盆栽と煎茶は深いつながりがある。

  • 参考:中国盆景と日本盆栽の呼称の歴史的研究(丸島 秀夫、1996)

つくばい

ちなみに小林さんの奥様は昔、煎茶道を習ってらっしゃり、春香園で煎茶会を開催したこともあるとか。

庭園の中には、待合とつくばいもあり、茶会をするための設備が整っている。また、開放感のある広間は、煎茶にぴったりの印象。普段、お抹茶のお稽古場としても使われており、訪問した日はちょうど奥の和室で稽古が行われていた。

煎茶席の床飾

青湾茶会図録(3巻)

青湾茶会図録 3巻(田能村直入、文久2年)※出典:国立国会図書館デジタルコレクション

江戸~昭和初期の煎茶席には、文人の書斎の楽しみとして、床飾りに盆栽も置かれていたという。明治時代の煎茶席の記録では、1862年(売茶翁100回忌)に大阪で開催された青湾茶会の記録に、盆栽を確認することができた。

青湾茶会図録(3巻)

青湾茶会図録 3巻(田能村直入、文久2年)※出典:国立国会図書館デジタルコレクション

明治時代の文人盆栽

 煎茶指南茗讌図録(下)の「盆栽陳列之図」

「盆栽陳列之図」: 煎茶指南茗讌図録(下巻、山本挙吉 著、明治17年)

鉢植えや植木と区別し、盆栽を「ぼんさい」と読むようになったのは、明治時代と言う。この頃に文人盆栽が流行し、「文人木」と呼ばれる盆栽もある。

 生け花でも、「文人華」というものがある。どちらの文人文化に連なるもの。
  
文人華と異なり、煎茶のお茶席で文人盆栽を見ることはまずないが、「煎茶×盆栽」について、今後も深堀りしていきたい。
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