黄檗売茶流 初煎会 2024@東京

季節外れも良いところだが、手元に書き置いておいたらすっかり年の瀬に。原稿を懐で温め過ぎである。このまま捨て置くのもどうかと思ったので、公開しておこうと思う。

睦月の某日、都内の富岡八幡宮にて令和六年の初煎会が行われた。元旦から天変地異での始まりとなった2024年。当日は荒天の予報だったが、しとしと小雨が降るくらいで、天気がもってよかった。

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令和六年 黄檗売茶流 初煎会

「新年からの出来事で、祝いにためらいを感じる人も中にいるのではないか。初煎の正しい意味を知ればそのような迷いはなくなる」というお話から始まった。まさにそのような心境で、「明けましておめでとう」と言うのは憚られる思いだったので、この話が聞けただけでも初煎に参加してよかったと思う。

梅の花に、佛手柑に松、花入れの竹で、松竹梅がそろう。

古い物から現代作家ものまで。青木木米の水注、涙の文様と言われる湘竹の綾瀬棚。

食べられない代わりに腐らない、博多びいどろの鏡餅。八角形の建水の木目も美しい。

伊藤若冲の龍の木版画

伊藤若冲の木版画

床の間のない部屋。辰年にちなみ、軸の代わりに伊藤若冲の龍の木版画(黄檗宗 閑臥庵 所蔵の十二支版木より)。手前座の前にひっそりと飾られていた。。

京都の「閑臥庵」は、若冲が十二支を描いた版木を所蔵しており、本堂で「その年の干支の版木」が展示される。ただし、十二支のうち、牛だけどこかに行ってしまったとか。ふと十牛図を思い出した。

版木の文字も彫りも、若冲の手によるものと伝わる。知る限り若冲の展示や画集で見た記憶がないので、恐らく通常は閑臥庵でしか見ることができないのではないかと思う。

今回の龍の版画は、その版木から特別に刷ってもらったものだそうだ。大変貴重なもの。

お茶の神様の神農は、龍と人の子

茶を発見したという中国の伝説の神「炎帝・神農」は、龍と人の子という伝説がある。角が生えた鬼のような容貌(牛の頭という説も)で描かれるのも、それ故かもしれない。毎年11月23日(勤労感謝の日)には、東京の湯島聖堂で「神農祭」が行われ、通常非公開の聖堂の「神農廟」が御開帳され、神農像を拝見することができる。

本国・中国の神農山(河南省泌陽市)では、水牛のような大きな角の姿だ。日本に来てすっかり角が小さくなっている。

文人趣味の飾り

黄檗売茶流の茶席では珍しく、文房四宝。清代の端渓の硯。龍の彫りが刻まれている。

紫砂茶壺の水差しに、玉の箸瓶など。さりげなく、石飾りの中にだるまさんの姿もある。煎茶は世間一般に浸透し過ぎて、ありがたみがなくなった部分がある、という話に。これはお茶だけでなく、様々な分野に当てはまる話。

根來(ねごろ)継ぎの茶碗

茶碗は現代作家さんもので「根来継ぎ」。まるでガラスが窓のようになってる。茶碗のふちにはガラス玉も。飛騨高山の「さるぼぼ」にも見える。

「根來継ぎ」とは、ステンドグラスアーティストのひらのまりさんが考案した、和歌山の根来の伝統技法「根来塗」で器を継いだ、新しい技法だそうだ。根来塗の朱と黒の漆に金継ぎの技法を組み合わせ、ガラスを埋め込んだ、破壊と再生の茶碗。

ガラスの器の金継ぎは見たことがあるが(継ぎの面も見えてしまうため難しいと聞く)、異素材ミックスとは新しい。

不動心

「不動心とは変わらないことではない。あり続けること。」

不動心=柳に風。風に揺れても折れない、柳のような心。柳に雪折れなし。山あり谷ありの人生、現代的に言えば、困難をしなやかに乗り越え、自ら癒やし回復する力「レジリエンス」にも通ずる。

そして、「人は存在するだけで尊い」と言う最上級の祝福に、「最後の一人になっても煎茶を続ける」という家元の覚悟のお言葉で、きりりと引き締まる年の始まりだった。

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