2025年の月見茶会の翌日、「日本緑茶の祖」と称される永谷宗円の生家を訪ねるため、京都府宇治田原町を訪れた。
宇治市の南東に位置する宇治田原は、現代の煎茶につながる「青製煎茶製法」が生まれた地。売茶翁とも深い縁を持つ、一度は訪れたい場所である。京都を訪れるたびに時間が足りず、これまでなかなか足を延ばせなかった場所だった。今回、ようやく念願がかなった。
宇治田原町へのアクセス

宇治田原町へ公共交通機関で向かうのは、実は難易度が高い。路線バスの本数が少ないため、事前に時刻表をしっかり調べていかないと痛い目に遭う。
午前中の最速ルートは「7:34 →8:04 JR宇治駅→工業団地前(立場線184)」。の直通バスで、30分ほどで着く。しかし、この時間に宇治田原に着いてもどこも開いていない。永谷宗円生家の開館は10時なので、外で2時間待つのはさすがに辛い。どうしたものか。
お茶の京都グリーンライナー(期間限定運行)
あれこれと調べていると、この秋「お茶の京都グリーンライナー」という観光バスが期間限定で運行されていることを知った。
2025/9/6~10/26の土日祝日のみの運行だが、11月2日は和束町の「茶源郷まつり」にあわせ、特別運行されるとのこと。なんとタイミングがいいことか。宇治田原へ午前に着く便は2本。一番早い便で行くことにする。

JR宇治駅の観光案内所でグリーンライナーの1日乗車券を購入し、早速バスへ乗り込む。宇治田原バスセンター(維中前)で下車すると、次の乗り換えまでしばらく待ち時間があったが、待合室があって雨風をしのげるのがありがたかった。
<利用したルート>
- 9:10→ 9:35 JR宇治駅→宇治田原バスセンター(維中前)@グリーンライナー
- 9:59→10:04 宇治田原バスセンター→宇治田原郵便局前 @宇治茶バス186

茶室を模した「宇治茶バス」

乗り換えた「宇治茶バス」は、内装がユニークだった。
車内は茶室をイメージして設計されており、ボックス席には正寿院で有名なハート型の猪目窓。テーブルもついており、お茶を飲めるようになっている。バス後方には軸や丸窓があり、お茶作りを紹介する映像も流れていた。
運転席の後ろには茶壺もあったそうだが、残念ながら乗車中も下車の際も気づかなかった。2019年から運行しているそうで、今回初めて知った。
・路線バス車内に「茶室」! 障子、畳、ポールは竹!? 「宇治茶バス」の内装がスゴイ(乗り物ニュース、2019/4/28)
宇治田原郵便局前 湯屋谷から永谷宗円生家へ

宇治田原の郵便局前 湯屋谷バス停で下車し、早速、永谷宗円生家を目指す。
湯屋谷(やんたん)という地名は、かつてこの地に温泉があったことに由来するという。京都府の温泉一覧によれば現在は源泉こそ残るものの、温泉施設はないようだ。
茶畑、製茶工場、お茶屋、立派な石垣——そんな景色のなかを、てくてくと坂を登っていく。
道中、不思議な光景に出会った。川に大きな貝殻がいくつも落ちている。最初は誰かが捨てたものかと思ったが、周囲にはゴミ一つなく、水も驚くほど澄んでいる。ゴミとは考えにくい。やけに白い貝殻だけが妙に目についた。
茶畑の下は、かつて海だった
後で地元の方にたずねると、あれは貝の化石だという。
山里の風景からはとても想像できないが、現在は茶所として有名な宇治田原一帯は、およそ1500万年前には海の底だったそうだ。貝だけでなく、珍しいイルカの化石も見つかっており、その化石は現在、京都大学総合博物館に展示されている。
茶畑の下には、はるか昔の海の化石が眠っている。
永谷宗円生家

バス停から歩くこと35分。永谷宗円生家に到着した。湯屋谷の奥地に苔むした茅葺きの家がひっそりと佇む。
10時から公開されており、内部見学は基本的に土日祝のみ(※不定休)。背の高い杉林に囲まれた敷地で、生け垣には茶の木が植えられ、たくさん蕾をつけていた。
毎年5月には「新茶まつり」が開催され、敷地内にある茶の木から茶摘みができたり、製茶体験、新茶の天ぷらや茶飯などの茶料理の振る舞いなどがあり、海外からも人が訪れるそうだ。

緑茶の始まり「青製煎茶製法」

永谷宗円(本名・永谷宗七郎義弘、1681〜1778年)が考案したのは、新芽を蒸したのち、焙炉(ほいろ)の上で手揉みしながら乾燥させる製茶法——現在の緑茶の原点となる「青製煎茶製法」だ。元文3年(1738年)に完成したとされる。
この製法では、抹茶の原材料である碾茶(てんちゃ)と同様に新芽を蒸し、その跡、焙炉の上で茶葉を手揉みして乾燥させる。
それまで茶褐色だった煎茶の水色が、鮮やかな緑と爽やかな香りを持つ茶が誕生した。この製法の完成に15年の歳月を費やしたというのだから、頭が下がる。現代の煎茶文化は、一人の茶農による長年の試行錯誤の積み重ねの上に成り立っている。
江戸時代の焙炉跡

復元された生家の内部には、当時使用されていた焙炉(ほいろ)跡や製茶道具が保存されている。
木製の大きな盆のようなものは、「助炭」(じょたん)と言う道具。これは当時のものではなく、現在の宇治手揉み茶の製法で使用しているものを参考として展示していたのだろう。
助炭は「炭を助ける」という言葉通り、元々は火が長持ちするように炉にかぶせて置くものだそうだが、製茶道具としての助炭は、底面に柿渋の和紙が何枚も貼られている。

木枠のみとなった助炭、こちらは当時のものだろうか。和紙がすっかり姿を消し、木枠のみとなっている。
助炭を焙炉の上に置き、蒸した茶葉を広げ、炭火の熱を利用して茶葉を乾燥させる。一枚ものの紙助炭では、手揉みは難しかったのではないだろうか。当初は米を研ぐときの「拝み洗い」のように、空中で茶葉を揉んでいたのかもしれない。その後、助炭に木枠が付けられ、押し付けながら揉めるよう改良されていったのではないか——そんな製法の試行錯誤を想像させられる。
何時間もの間、茶葉をもみ続けるのは大層な重労働だ。様々な試行錯誤の末に「このやり方が一番茶が美味しくなる」ということを発見し、製法を編み出し、専用の道具を考案するまでに、どれほどの時間と根気が必要だったことだろう。
15年もの長きに渡る歳月を費やし、宗円は、58歳で現代の日本緑茶の礎となる製法を確立。
そして、その技術を秘伝にせず全国へ伝えた。惜しげもなく製法を伝授した結果、日本各地で緑茶が作られるようになり、現在では誰もが手軽に茶を飲めるようになった。
宇治田原町指定文化財 永谷宗円生家・ほいろ跡
宇治田原郷湯屋谷の茶農・永谷宗円は元文3年(1738)に色、香、味のいずれも格段に優れた煎茶製法(青製煎茶)を15年の歳月をかけて考案し、その名声は全国的に広まり、後世この製茶法は宇治製(永谷式煎茶)と認められ、宇治田原を緑茶発祥の地と呼ぶゆえんとなっています。戦後に一部復元された家屋には、当時の『ほいろ跡』が保存されています。
昭和49年6月20日 宇治田原町教育委員会
※立て看板より
宗円は完成した茶を全国へ広めるため、自ら江戸へ赴き、日本橋の茶商・山本嘉兵衛商店(現在の山本山)を訪れた。
二代目山本嘉兵衛はその茶を逸品と認め、その場で全量を買い取り、翌年分の購入まで約束したという。そして「天下一」と名付けて売り出すと、たちまち江戸中に広まった——この逸話は明治期の「茶業通鑑」にも記されている。

売茶翁と永谷宗円

富士山に登山し、山の神様に祈願した際の様子を描いたものだろうか
1742年(寛保2年)、売茶翁は68才の時に宗円を訪ねている。高遊外と改名した年のことだ。
『永谷伊八家旧記』によれば、売茶翁は宗円の青製煎茶を「これほど美しく香り高い茶は天下に比べるものがない」と絶賛し、二人は一晩中茶を語り合い、翌朝、売茶翁は一文を書き残して去ったという。なんともロマンのある話で感慨深い。
煎茶に精神性をもたらし、その普及に対する多大なる功績から、中興の祖とも称される売茶だが、その煎茶の世界に緑色の新風を吹き込んだ永谷宗円に強い興味を抱いていた。
その思いが67歳という老身を動かし、宇治田原の湯屋谷に向かう。
永谷伊八家旧記によると、まさに仙境という趣きの永谷宗円家の前に立つ売茶翁。戸が開くと、両雄が対面。心行くまでの語り合いが始まったという。
時はあっという間に過ぎ、一泊した売茶翁は宗円家に一編の文章を書き残した。そこには「物静にして最も仙境に似たり、茶に適ふ霊地なりと感ずるに、予を一室に留めて自園の新茶を煎じ出さる。初めて試みるに美艶清香の極品にして、何ぞ天下に比するものあらんや。未だ一椀を挙げざるに彼の大福の名葉なることを知る」などと記されていたという。
※売茶翁、永谷宗円 一期一会 思い出刻んだお盆か/宇治田原(洛タイ新報、2020/4/18)
このときのものだろうか。
宇治田原町南亥子にある茶屋の「丸伍製茶」には、「煎茶日日起松風 高遊外」「富士登山 御殿場 永谷宗円」と刻まれた盆が伝わっているそうだ。

終わりに

宗円は安永7年(1778年)にこの世を去った。満97歳、数え年では98歳という驚くべき長寿の人だった。
江戸時代の平均寿命が30〜40代だったことを思えば、異次元の寿命だ。売茶翁も89歳と長生きだったが、「茶が身体に良い」という話は宗円自身が体現しているのかもしれない。
今回の訪問で強く感じたのは、永谷宗円が単なる「製茶技術の発明者」ではなかったということ。15年を費やして製法を完成させ、それを惜しみなく近隣や全国へ伝えたからこそ、日本中で今につながる煎茶文化が花開いた。
何が彼をそこまで突き動かしたのか。「もっと美味しいお茶を飲んでほしい」という思いか。茶農としての探究心と研究心からか。それもあっただろうが、寂れていく故郷に危機感を感じ、どうにかしたいという思いが強かったことが今回の訪問でとてもよくわかった。憂うる人の心が日本緑茶の歴史を変えた。
書籍などで永谷宗円の功績は知っていたものの、情報として知っているのと、実際に現地に足を運んで体感するのとでは、受け取るものに雲泥の差がある。書籍「無私の日本人」(磯田 道史 著、2015年)の読了後も清々しく静かな感動があったが、日本人の「無私の精神」を実感できる場所である。訪れて本当によかった。
永谷宗円生家
- 所在地 :〒610-0221 京都府綴喜郡宇治田原町湯屋谷空廣
- 営業時間:10:00~15:00頃(時期により変更の場合あり) ※内部見学は土日祝日のみ(不定休)
- 料金 :200円(施設維持管理協力金)
- 交通 :宇治駅から京都京阪バス(工業団地、緑苑坂行き)で「工業団地口」下車、徒歩約35分
- URL :https://ujitawara-kyoto.com/sightseeing/scenery/nagatanisouenseika/
