茶文化

平安時代の茶の記録②最澄ゆかりの日吉茶園

日吉茶園の立て看板

日本各地に残る、茶の歴史を今に伝える茶木。中国から伝来した茶を起源とする、古い茶園が滋賀県にあります。

最澄が、唐より持ち帰り植えた茶

日吉茶園@滋賀県

日吉茶園@坂本

延暦24年(805年)、天台宗の開祖・最澄(767-822年)が、留学先の唐から茶の種子を持ち帰り、比叡山のふもとに植えました。滋賀県大津市にある「日吉茶園」の木は、その一部と伝わっており、これが事実であれば、現存する日本最古の茶園です。

社伝によればこの茶園は比叡山延暦寺 開祖 伝教大師 最澄が入唐求法(にゅうとうぐほう)に際し天台山より茶の種子を持ち帰り延暦二十四年(八〇五)山麓のこの地に植えられた事が始まりとされ、我が国最古の茶園と称されています。

殊に『日本後記』弘仁六年(八一五)四月条に、最澄と共に帰朝した永忠の手によって時の嵯峨天皇に煎茶が献じられた記事が、わが国喫茶の発祥とされている事からもこの茶園が最古と呼ばれる由縁であります。

現在も毎年四月の日吉大社山王祭での「献茶式」において四基の神輿にこの茶園のお茶が献じられ、更に六月四日伝教大師 最澄の御命日に比叡山延暦寺浄土院にて執り行われる「長講会(ちょうごうえ)」でも献じられています。

※日吉茶園の看板より

日吉茶園の立て看板

日本後記によれば、「嵯峨天皇に永忠が茶を献じた」のは弘仁6年(815年)ですから、最澄が茶を植えた805年は、献茶の10年前です。最澄と同時期に帰国した永忠も、梵釈寺の献茶の記録から、恐らく中国から茶を持ち帰り、栽培していたでしょう。

最澄は永忠と共に帰国していますし、梵釈寺も比叡山の麓にあり、日吉茶園と地理的に近いため(徒歩1時間くらい)、関わりがあったのではないでしょうか。最澄が唐に滞在したのは1年。一方、永忠は30年もの長きに渡り、唐で暮らしていました。永忠の方が、茶木の育て方や製茶の知識は深かったでしょう。

最澄が茶を持ち帰った天台山

では、最澄が茶を持ち帰ったという天台山は、どこにあるのか。

天台山は、中国の浙江省にある霊山で、お茶の名産地であり、「天台雲霧茶」(華頂雲霧茶とも)という緑茶が作られています。天台宗の総本山「国清寺」があり、最澄はここで天台の教義を学び、帰国後、延暦寺を「日本の天台宗の総本山」としました。

尚、この国清寺が、地主神として「山王弼真君」(さんのうひつしんくん)」を祀っていたことから、最澄は、元々比叡山の地主神だった大山咋神を「山王」と称し、天台宗の護法神に奉ります。そのため、大山咋神を祭神とする日吉大社は、山王権現・山王神道と呼ばれています。

 

天台山と日吉茶園の「茶のDNA鑑定」

現在の日吉茶園の茶木は、最澄の茶に連なるものなのか?

最澄が茶を植えてから1200年以上が経ち、その間、日吉茶園の近辺はかなりの被害を受けています(織田信長による比叡山焼き討ちで、近隣は荒廃)。

一昨年、東京大学の研究グループが、日吉茶園の茶葉と中国浙江省天台山に現存する茶葉との比較で、最高レベルのDNA鑑定をおこなった結果、同種に間違いないとの研究結果が発表されました。

中川誠盛堂茶舗サイト

こちらによれば、DNA鑑定で「天台山と日吉茶園の茶が同種」との結果が出たそうです(東京大学のリソース元は発見できませんでした)。これだけで最澄が持ち帰った茶と断定できませんが(他の人や後の時代、天台山から持ち帰った茶の可能性もある)、少なくとも「日吉茶園の茶のルーツは、天台山の茶木」ということが分かりました。

日吉茶園の場所

日吉茶園は、京阪電鉄「坂本」駅の目の前にあります(※湖西線「比叡山坂本駅」からだと、少し歩きます)。茶の木が数十本という、小さな茶園ですので、知らなければ通り過ぎてしまうかも。

毎年、八十八夜の5/2には「茶摘祭」が行われ、日吉大社と延暦寺に新茶が献じられます。尚、日吉茶園のすぐ近くには、最澄の生誕地「生源寺」があります。

  • 場所:〒520-0113 滋賀県大津市坂本3丁目10
  • 交通:京阪電鉄「坂本駅」下車すぐ、JR湖西線 「比叡山坂本駅」 下車、徒歩15分

銘茶「日吉茶園」

「日吉茶園」のお茶の枝を譲り受けて作られたお茶が、2017年に滋賀県で発売されました。

中川誠盛堂茶舗@滋賀県

年間数キロしか採れないため、数量限定とのこと。滋賀県大津市の「中川誠盛堂茶舗」で販売されており、ネットでも購入できます。

  • 住所:〒520-0043 滋賀県大津市中央3-1-35
  • 交通:JR「大津駅」から徒歩約5分、京阪「島ノ関駅」から徒歩約5分
  • サイト:http://www.seiseido.com/