お茶はいつ、どのようにして日本に現れたのかー。
「中国からの伝来」が通説となっているが、遺跡の発掘資料を調べてみると、日本列島には古くから茶の木が存在していたと考えられる痕跡が各地から見つかっている。
国立歴史民俗博物館が運営する「日本の遺跡出土 大型植物遺体データベース」では、日本全国の遺跡から発掘された植物のデータが一般公開されており、時代別・地域別・キーワードなどで「いつ・どこで・どのような植物が見つかったのか」を調べることができる。今回、このデーターベースを元に日本各地から出土した茶の痕跡を探ってみた。
※写真は重要文化財の遮光器土偶(縄文晩期・前1000~300年。青森県つがる市木造亀ヶ岡出土。東京国立博物館 所蔵)
日本各地の遺跡から発掘された茶の化石
一般的には「茶は奈良時代に中国から伝来した」とされているが、縄文時代の里浜貝塚(宮城県東松島市)から茶の種子が出土している。里浜貝塚は日本最大級の縄文遺跡で、出土品は「奥松島縄文村歴史資料館」に所蔵されている。
また、奈良時代以前の弥生・古墳時代の遺跡からも、複数の茶の化石が出土している。ということは、かなり古くから日本に茶が伝来していたのか、それとも日本に自生していたのか?渡来説 VS 自生説、その決着は今持ってつかず、謎は深まるばかり。
時代別に見る、茶の化石リスト
以下、「日本の遺跡出土 大型植物遺体データベース」を元に、チャの出土情報を時代別にまとめた(「チャ」「チャノキ」で検索)。
※出典:日本の遺跡出土 大型植物遺体データベース(国立歴史民俗博物館)
時代コード | 時代 | 出土部位 | 都道府県 所在地 | 遺跡名 | 報告書名 |
---|---|---|---|---|---|
B | 縄文時代 中期~後期 | 種子 | 宮城県 東松島市 宮戸 | 里浜貝塚 | 鳴瀬町文化財調査報告書 第5集ー里浜貝塚ー平成10年度発掘調査概報 |
B | 縄文時代 | 種子 | 千葉県 匝瑳市 大堀字 矢摺 | 矢摺泥炭遺跡 | 矢摺泥炭遺跡 発掘調査報告 |
C,D | 弥生時代 中期〜古墳時代初頭 | 種子 | 長崎県 壱岐市 勝本町 立石東触 | カラカミ遺跡 | 自然科学的分析ーカラカミ遺跡(2007年度調査)出土の植物遺体 |
D | 古墳時代 後期中葉 | 未熟果 | 宮城県 仙台市 宮城野区中野字沼向 | 沼向遺跡 | 沼向遺跡 第4次〜34次調査 ー宮城県仙台港背後地土地区画整理事業関係遺跡発掘調査報告書Ⅲー仙台市文化財調査報告書第360集第9分冊 |
E | 平安時代 初頭 | 果実 | ※同上 | 沼向遺跡 | ※同上 |
E,F,G | 平安時代〜近世初頭 | 種子 | ※同上 | 沼向遺跡 | ※同上 |
E | 古代? | 種子 | 広島県 安芸高田市吉田町吉田 | 郡山大通院谷遺跡 | 郡山大通院谷遺跡ー財団法人吉田町地域振興事業団報告書第8集 |
E | 奈良〜平安時代 | 果実 | 奈良県 奈良市 二条大路 | 平城宮 | 平城宮第71.72.73次発掘調査概報ー附 「平城宮跡出土植物遺体」 |
E | 平安時代 | チャノキ | 山梨県 大月市 大月町 真木 | 原平遺跡 | 原平遺跡-中央自動車道拡幅工事に伴う事前調査報告書-山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第160集 |
F | 室町〜戦国時代 | チャノキ | 山梨県 甲州市 勝沼町 | 史跡勝沼氏館跡 | 史跡勝沼氏館跡-外郭域発掘調査報告書(中世編)-甲州市文化財調査報告書第3集 |
F | 戦国時代(16~17世紀) | 種子 | 愛知県 豊明市 栄町 | 大脇城遺跡 | 大脇城遺跡-愛知県埋蔵文化財センター調査報告書第86集 |
F | 戦国時代 | 種子 | 愛知県 豊田市 渡刈町 | 水入遺跡 | 水入遺跡-第2分冊-中近世・科学分析・考察編-愛知県埋蔵文化財センター調査報告書第108集 |
F | 中世 | 種子 | 奈良県 奈良市 和田町 | 和田ワタナ遺跡・矢田原遺跡 | 和田ワタナ遺跡・矢田原遺跡ー奈良県文化財調査報告書第132集 |
G | 江戸時代 | 種子 | 東京都 千代田区 永田町 | 溜池遺跡 | 溜池の土壌サンプリングより出土した大型植物化石 |
G | 江戸時代 | 種子 | 東京都 港区 新橋 | 豊後岡藩中川家屋敷跡遺跡 | 豊後岡藩中川家屋敷跡遺跡発掘調査報告書 -港区内近世都市江戸関連遺跡発掘調査報告44 |
G | 江戸時代 | 種子 | 新潟県 新発田市 大手町 | 新発田城跡遺跡 | 新発田城跡発掘調査報告書3(第11・12地点)-新発田市埋蔵文化財発掘調査報告第24 |
G | 近世 | 種子 | 東京都 新宿区 市谷本村町 | 尾張藩上屋敷跡遺跡 X | 尾張藩上屋敷跡遺跡発掘調査報告書Ⅹ -東京都埋蔵文化財センター調査報告第114集 |
データベース未掲載の出土情報
上記のデータベースに未収録の出土情報もいくつか存在する。残念ながら原典の書籍が未入手のため、ネット上の二次情報による備忘録的記録だが、参考として掲載する。
出土した時代 | 発掘年 | 発掘場所 | 発掘された化石 | 出典 |
---|---|---|---|---|
古第三紀時代 始新世後期 (3500万年 – 4500万年前) | 1970年 (昭和45年) | 宇部炭田沖ノ山層 (山口県宇部市) | ・茶の葉 ・茶の実 | ※1、2、4 |
縄文後期~晩期 | 1940年 (昭和15年) | 真福寺泥炭層遺跡 (埼玉県さいたま市) | ・茶の葉 ・茶の実 | ※2、4 |
縄文後期~晩期 | 1938年 (昭和13年) | 余山貝塚 (千葉県銚子市) | ・茶の木 | ※4 |
縄文弥生混合期 | 1926年 (大正14年) | 浄水池遺跡 (徳島県徳島市) ※三谷遺跡とも | ・茶の木 | ※2、4 |
- ※1:茶のすべて(窪川雄介 編著、1997年)
- ※2:日本茶全書(淵之上康元・弘子 著、農山漁村文化協会、1999年)
- ※3:日本喫茶世界の成立(山田新市 著、ラ・テール出版局、1998年)
- ※4:茶の化石ー国茶の基礎知識(AllAbout、2009/9/27)

上記によればb,日本最古のチャノキの化石は、第三紀始新世後期、約4500万年~3500万年前のものだという。1970年(昭和45年)、山口県宇部市沖ノ山の地層から発見されている。
縄文人はチャノキをどう使っていたのか?

これだけ多くの縄文遺跡からチャノキの痕跡が発見されていることから、縄文人はなチャノキをなんらかの形で利用していたのでは、とつい妄想してしまう。仮にそうだとしたら、どのように使っていたのか?
現代では「お茶=飲み物」のイメージが一般的だが、実際は様々な活用方法がある。たとえば、中国やタイなどの東南アジアの少数民族の中には、茶葉を食べたり、炙って煎じたり、発酵させて漬物のようにして食べたりしている。想像の域を出ないが、こんな使い方も考えられるかもしれない。
茶の葉:野草茶のように煮出して飲む/薬用に煎じる/儀式・祭祀で使う
茶の実:油を搾って調理や灯火に使用?
茶の殻:サポニンを利用して洗浄に?
- 茶の葉 :野草茶のように煮出して飲む/薬用に煎じる/儀式・祭祀で使う/野菜扱いで調理して食べる
- 茶の実 :油を搾って調理や灯りに利用
- 茶の実の殻:サポニンを利用し、洗浄に使用(※茶殻には洗浄成分のサポニンが豊富に含まれる)
縄文人はチャノキを栽培していたのか、それとも野生のものを採取していたのか、という点も気になる。ちなみに、アズキについては先日(2025/6/3)、縄文時代の日本が栽培の起源だったことが明らかになったばかりだ。

素人が仮説の上に仮説を重ねても砂上の楼閣に過ぎないので、今後の専門家によるさらなる研究に期待したい(考古学・植物学・遺伝学などだろうか)。詳しい実態が明らかになったら、日本人とお茶の関わりの起源が大きく変わるかもしれない。