葉も所々黄色くなり、百日紅の花が名残惜しげに咲いている。散った花びらが蜘蛛の巣にかかり、宙に浮いているかのよう。
9月と言えど残暑厳しく、強い日差しに日傘がまだ手放せない。
夏のお手前「冷泉」
今月は、冷玉露の一煎出しを2回淹れる、贅沢なお手前「冷泉」。
水出しのため、涼炉とボーフラは用いず、代わりに水指と瓢杓を用いる。また、茶かす掃除のための煎茶道具、箸と箸立ての「箸瓶」(ちょへい)、茶かすを入れる容器「落葉壺」(らくようこ)が登場する。
いつも目の前にある涼炉&ボーフラがないと、なんだか心許ない気持ちになる。無意識に空間認識の基準としていたのか、手の位置が下がってしまったりと高さが不安定に。
瓢箪で作られている「瓢杓」
冷泉手前では、「瓢杓」(ひょうしゃく)を使って水指から水を汲み、冷たい玉露を淹れる。
瓢杓とは、瓢箪で作られている柄杓のこと。柄の長いマラカスのような形で、ひょうたんの中をくり抜き、内側には赤や黒の漆が塗ってある。瓢箪を保護し、防水・防腐および防汚のためだろう。
よく見ると頭のてっぺんが少しとがっており、竹の柄杓と比べて紙のように軽い。
持ち手の柄の内部に穴が開いており、柄から水を注ぐタイプもある。先日参加した方円流のお茶会では、柄先からチョロチョロと茶碗に水を注いでいた。「水音も涼しさの1つ」と。調べた所、「穴あり瓢杓」などという名で、売られているようだ。
黄檗売茶流の冷泉手前では、柄に穴がない瓢杓を用い、柄杓と同じようにくり抜かれた部分で水をすくって注ぐ。…私がまだ知らないだけで、もしかしたら、柄から注ぐ瓢杓のお手前もあるのかもしれない。
仕込み茶
一煎目用の仕込の茶銚と、お手前で茶を淹れる二煎目用の茶銚と、2つの茶銚を用いる。
水屋で茶銚に茶葉・水・氷を入れ、予め「仕込み茶」を作っておく。
お手前では、二煎目の茶を淹れるので、お手前をしている間、仕込の茶銚の中では、一煎目用の茶のエキスが抽出されている。そのため、この時間も計算して、仕込み茶を作る。また、氷が溶ける量も勘定にいれておかないと、薄い茶になってしまう。
仕込の茶銚とお手前の茶銚
一煎目は、仕込の茶銚から茶碗に茶を淹れて、お客さんにお出しする。
お客さん側は、一煎目を飲み終わったら、飲み終わったことの合図として、茶碗は茶托に伏せておく(※流派によっては、伏せない所もある)。
二煎目は、お手前で茶の準備をした茶銚から、洗っておいた仕込の茶銚に茶を注ぎいれる。そして、童子さんが仕込の茶銚を運び、お客さんの茶碗に注いで回る。
お手前で茶碗に茶を注ぐ時、童子の役目で茶を運ぶ時、思いの他よい香りが立ち昇った。水出しの冷茶で、ここまで香りが出ることに驚く。よい茶葉だからこそ。
茶銚の持ち方
先月の宝瓶の持ち方同様、茶銚の持ち方も「注ぐ手」と「持つ手」の2種類がある。
茶を淹れたり、水を建水に捨てる時の「注ぐ手」。
こちらは、ティーカップを持つ時のように、持ち手をつまむ手の形となる。
茶銚台から持ち上げたり、元の位置に戻したりする時の「持つ手」。
こちらは、親指で蓋を抑えて、持ち手の中に人差し指を通し、残りの三本の指は茶銚の底に添える。阿弥陀如来の「来迎印」のような手の形だ。
それぞれに最適な手の形で無駄がない。また、形の理由をきちんと理解すると間違うこともない。
柄杓を使うお手前「平成二景」
日が暮れてセミは鳴きやみ、代わりに鈴虫の声。稽古場の中も暗くなってきた。
平成茶碗に、水指に柄杓を使ったお手前「平成二景」を、見取り稽古。
六碗の小さいお茶碗のお手前に対し、平成茶碗は「一碗に集中する感覚」がある。お手前の時間もそこまで長くないため、意識が途中で切れづらく、流れもスムーズに感じる。
平成茶碗は、茶を注ぐ瞬間が静止画のようで、見ていてとても綺麗。個人的に好きなお手前。
柄杓の扱い方
瓢杓を見た後では、凛とした柄杓の姿形がより際立つ。
道具の扱いもそれぞれの個性に依るようで、ゆったりとした瓢杓に対し、柄杓はきちっとしている印象がある。
柄杓の所定の位置は、水指の上。そこから右手で柄杓を取り、左手で受け、水をすくう手に右手を持ち替える。
右手は、肘から手首・指先・柄杓の先までが一直線となる。水指の水をすくい、茶碗に注ぎいれたら、右手を注ぐ手から持つ手に戻し、水指の上に柄杓を戻す。
こうして書きながら頭の中を整理していると、目的に応じて「手の形」が厳密に決まっていることに気付く。
最後の方のお稽古が終わったのは8時半頃で、宝庵の外は真っ暗に。途中で帰ってもいいのだけれど、見るのも稽古。12時から稽古場に来ている方は、本当に長丁場な一日に。お疲れ様でした。